コペルニクス的転回

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2024年の真ん中バースデーに寄せて書いたものです。一応海賊。


 身動きが取れない。
 そんなことはこれまでも幾たびかあった。足元からろうで固められたり、大げさに包帯で全身をぐるぐる巻きにされたり。
 けれど今回のはちと話が違う。

「ふああ……綺麗だなあ……なんて可憐なんだ」
 おれの目と鼻の先で、ウットリと惚けた目つきで、そんなセリフを真正面からおれに向かって吐いているのはあの、アホコックだ。よりによっておれに対して「綺麗」だなどと。アホだアホだと思ってはいたが、どうやら本気で頭がイカれちまったらしい。
「あっちのは美しい紫、こっちは濃い目の青、どれもこれも素敵だが、とりわけこの色は最高に美しい。なんてったって真っ白。純白とはこのことだ。それにこのこんもりとした丸い形、柔らかな満開具合……」
 うっとりした目を見開いて、コックはますますおれとの距離を縮めてくる。やめろ。それ以上近づくとやべェ気がする。するとアホコックは眼を閉じて鼻先を急に近づけて来た。いや近づけるどころか鼻先がおれに引っ付く勢いで。
「はわあ、いい匂いだぁ」
 
 いい匂い。
 いい匂い?

「うん。やっぱこれだな。無垢な純白、今日のテーブルにふさわしい、うん。これにするか」

 そう言うと、コックはあろうことかおれを『つまんで』ぷつん、と千切って片手でひょいと持ち上げた。そうして再び鼻先をおれに近づけると、すうううと大きく息を吸い込んで、えも言われぬ恍惚とした表情でまたなんていい匂いだのなんだのと呟いて足取りも軽く歩き出したのだった。

 さすがのおれもこの期に及んで気が付いた。さっきから何故身動きがとれないどころか、この気色の悪いアホにひと言言い返す事すら出来ずにいるのかを。
 どうやら、なんの災難かは知らないが、おれは今『花』になっちまっているらしい。それも何をどう間違ったのか、アホコックに見つけられさんざおかしなセリフを聞かされたあげく、摘ままれて連れていかれているらしい。これは運が良かったのか悪かったのか、しかしそんなことを言っていられない。なんとかしてコイツにおれの正体を知らせて、とにかくもこの姿をなんとか戻してもらわないことにはどうにも居心地が悪すぎる。それにコイツの様子をみるからに、『おれ』は相当気に入られたようだったから、一刻も早くその誤解を粉砕してやらないとコイツの為にもならない。
 しかし、いかんせん今おれは『花』だ。どうしたって自ら動いて意志を示すことは無理だろう。どうにも癪だがしばらくはコイツに身を任せるしかほかにどうしようもない。

「ナッミすわ~んロビンちゅわああああん! ただいま帰りましたああ」
「あらサンジくん、ゾロと一緒じゃなかった?」
「へ? あいつまだ戻ってねェの?」
「てっきり一緒に帰ってくると思ってたから。荷物持ちでしょ」
「そうなんだよ、あの野郎まーた途中でどっかに迷い込みやがって、荷物持ちのにの字も役に立ちゃあしねぇ。いったいどこで彷徨ってやがんだ」
「まあそのうち帰って来るだろ! それより早く晩飯にしようぜサンジ!」
「まーてまてルフィ、それよりほら見てナミさん! 綺麗だろ?」
「あら素敵! 大きなアジサイねえ」
「アジサイってんだ? あんまりにも見事に咲いてたもんだから、今日のテーブルにふさわしいかと思って取って来たのさ。特にこの濁りのない白! この純白がおれを捕らえて離さなかったわけ」
「そうね、本当に真っ白だわ。品格すら感じる見事な花ね」
「そうだろおロビンちゅわん! 早速飾ってくるからねええええ!」
 そう言ってコックは鼻歌交じりにスキップしながら台所に向かっていった。
 どうでもいいから早くなんとかしろ。

「ふう、それにしても見事な花だなぁ」
 テーブルの中央にガラスの花瓶を置いて、中に水を注ぎ入れるとコックは『おれ』をちゃぷんと刺し入れた。そしてテーブルに肘をつき、またトロンとした目をしてじっと見つめてくる。
 どうにも居心地が悪くてムズムズする。その目つきやめろ。
「……なんだかなあ、君は似てんだよな、アイツに」
 は?
「おれには上手く言えなかったけどさ、さっきロビンちゃんが言ってくれたんだ。品格、ってやつさ。それが似てるんだ。うん」
 なんの話だ?
「なんの話だ、って思うだろ? おれにもよく分からねェ。けどなんか、その堂々とした大輪の咲きっぷりとか、誰とも混じり合わねェ潔い白さとか、そうそう、そのこんもりした丸いカタチもさ、似てんだよあの阿保剣士に。なんだか……」
 そう言ってコックは、そっと手を伸ばして来た。そしてサワサワと柔らかく丸く花弁を撫でた。
 頗る、奇妙な感覚だ。
 始めにおれに話しかけ出した時はどうにも気色悪かったのが、今はどうだ。
言っている事はよく分からないがこんな風に撫でられるのは悪い気がしない。いや寧ろ気分が良い。おれに向けた事もないようなこいつのこんな表情をずっと見ていたい気にさえなってくる。
 いやしかし、このままではまずい。早く戻して貰わなけりゃ……
「さて、少し待っててくれるかい? 今からアイツを探しに行かなきゃならねェんだ、あの迷子マリモを探すのはおれの役目だからよ」
 待て。
 立ちあがろうとしたコックを引き留めなければ。けどどうやって。伸ばす手も駆け出す足も、叫ぶ口もない。おれはここに居る。ここに居るだろ馬鹿。お前のすぐそばに居るって言ってんだ。
 するとふいにコックは翻ってこちらを見た。再び近づいてきたその顔は、さっきとは違って少し眉毛を下げ、何か悲しげな面持ちを見せている。そのうち奴は手を伸ばすと『おれ』を花瓶から抜いて持ち上げ、顔を寄せ花弁に唇を埋めて囁いた。

「……好きなんだよなぁ…………」

 その声が聞こえた途端。パンッと何か弾けた音と同時に真っ白な煙が辺りを埋め尽くした。しばらくして視界がクリアになって来ると見慣れたキッチンの部屋がある。気がつくとおれは、テーブルの上に立ちすくんでいた。
「……戻りやがった」
 自分の手のひらを握ったり開いたりしてみる。服も着ている。見た目も特に変わりなく、腰には刀がしっかり三振り刺さっている。どうやらやっと元の姿に戻ったらしい。
 それにしても戻ったキッカケになったのはもしやさっきのコックの行動だろうか。何故それがキーになったのかは知らないが、おそらくおれ自身の中で、コイツについて今の今まで言葉にできずにいたものが、あの瞬間にガッチリと嵌って解放されたからのような気がする。
 正面には目をまん丸にして口をパクパクさせているアホ面があった。
「え……え……?」
「よう」
「おま……マリ、モ?」
「おう」
「は、は、はな……」
「船に向かって歩いている途中に、なんかの拍子で花になっちまってな」
「…………」
「まあ、結果的には帰って来れたな、てめェのお陰で」
 目をパシパシと忙しなく瞬かせ、手の甲で両目をゴシゴシ擦った後、コックの顔はみるみる青白くなった。
「じゃ、じゃあお前、今までの独り言、聞いてた……の?」
「ああ、聞こえてた。なんだか分からねェけど色々ぶつくさ喋ってたな」
 すると青白かった顔色を急にサッと赤くしてコックは叫んだ。
「わ、わすれろ! わすれてくれ、頼」
 最後まで言わせないうちにおれはテーブルから飛び降りてコックの襟首を引っ掴み、ぐいと引いた。ガチッと前歯のぶつかる音がしたが構わず噛みついた。
「む……ッ」
 目を白黒させている男を睨んだまま息を詰める。何分、いや何秒経てばいいのか分からず息苦しくなって口を離した。
「プハッ……ッ、な、何すんだてめ!」
「さっきの仕返しだ、アホコック」
 そう言ってやると、暫く驚いた顔でおれを見つめていたコックは、ようやく目を緩めると、聞いた事もないような低く甘い声色で言った。
「……馬鹿、仕返しならもっとこうだ、野獣め」
 ゆっくりと伸ばして来た手は、するりとおれの首筋を掴み顔を寄せてきて、その後、花弁に囁いたように静かにやわらかに、唇に吸い付いて来た。

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