真っ赤な真実

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海賊。ゾ誕の宴の後のお話です。


 今年も唐突にその日はやってきた。去年と同じように、いや何か去年以上に宴は当人のおれを差し置いておおいに盛り上がり、スッカラカンの皿の間にこれでもかと散らされたクラッカーの色とりどりの紙テープと紙吹雪は開けっぱなしの酒瓶の中にまで入り込む始末。毎度これを片付けるクルーの手間が容易く予想される。
 まあ、それはたいてい同じ奴なんだが。
 それにしても、今年の宴に無性に感じる違和感の正体が分からない。大暴れするルフィを筆頭に普段以上にご機嫌な面々への違和感じゃない。酒も料理も十二分に美味い。少し修理されて綺麗になったキッチンのせいか? いや違う。
 手にしたジョッキの中の酒を飲み干したらもう一杯の代わりを要求しようと、ひどくとっ散らかったテーブルを眺めていると、突然目の前にある青い色が視界に大きく飛び込んできた。
 青い花が活けてある。こんもりと、テーブルの中央に。
 花が歩いてきた訳じゃない。宴の最初からずっとそこにあったに違いない。けれどおれはついぞ今の今までそれに気付かずにいた。そう、さっきからの違和感の原因はこれだという事に。
 なぜ違和感か。
 ふと、考えた。花が食卓にあることは珍しいことでもなかった。普段は気に留めた事もなかったが、ロビンが屋上に植えた花かもしれないし、ナミがどこぞの島で詰んできた時かもしれない。ただ、いくらナミやロビンとはいえ、キッチンの主に断りなくテーブルに花を据えるだろうか? 当然、鼻の下を床まで伸ばした男がむしろ喜んで誂えてもらうに決まってる。そうでなければ、そう。
 もう一つの可能性は、もちろんこのキッチンを取り仕切る男、コックだ。女どもでなければ、残りはコック自身がここに花を置いた、それ以外ない。こんなに目立つ花束が少なくともあの男の管理下で置かれているのだ。口実とはいえ、『おれの』祝いの名目の宴でだ。
 違和感の原因は分かった。しかしその理由まで考えは及ばなかった。再度ぶちまけられたクラッカーの破裂音とクルーの叫び声に、思考は無理やり中断された。

 宴がお開きになり、めいめいが寝床や廊下でイビキをかきだした夜更けの頃に目が覚めた。
 便所を済ませてボンクへ戻ろうとした時だ。何の魔が刺したのか、ふと吸い寄せられるようにアクアリウムのある部屋へと足が向かった。
 ギイ、と扉を開くと、視界の両側いっぱいに青白く光る水槽が出迎える。
 飲み過ぎたつもりはないものの、心なしか浮遊した気分を持て余し、とりあえず腰を下ろそうと長椅子に近づいた。その時だ。
 その脇の床に何かが散らばっている。
 ゆっくりと近づいて目を凝らしてみるとそれは花だった。細い枝に幾つかの葉がついている。それが数本、床にばら撒かれたように散っているのだ。
「何だ?」
 そのうちの一本を拾って手に取ってみると、心なしか見覚えのある花弁だ。青白い水槽の灯りにかざしてみれば、その重なった花弁は紫色に揺らめいている。す、と鼻先にかざしてみると、濃い芳香が優しげに襲った。たしかにこの香りには覚えがある。瞬きの後、よく目を凝らして見れば目の前にある花弁は真っ赤である。紫色だと思ったのは真紅の花弁に青白い光が映っていたからに違いない。
「血の色……?」
 その時だ。背後に近づく足音がしたと思うと同時にアクアリウムの扉が開いた。
 振り返るまでもなかった。入ってきた男が仄かに纏う匂いは他に替わるものなどいない。
「……ッ、お前……?」
 何故か狼狽したように声を裏返らせた男は、しばらくおれの姿を確認した後、何ごとか気付いていきなりズカズカと近づいてきたかと思うと、慌てて床に散らばっていたものをかき集め始めた。
「何だ」
「いやッ、何でもねェ! ってか、てめ、何でこんなとこにいやがんだ」
「目ェ覚めたから来てみただけだ」
「はぁ? よりによってここに来なくても……ッお前、貸せ、それも」
 意味もなく手に取ったものの、そう性急に奪われるのは何となく癪に触った。
「おれが拾ったんだ、何だこれァ」
「ッ、いいから返せ!」
 かき集めた花を抱え込んで、最後の一本を取り返そうと必死な男が伸ばす手を弾き、花を持ち上げて見せると、突如思い出した。
 この花は、さっきの宴で食卓にあったのと同じじゃねェか?
「……こいつァ、さっきのテーブルの花と同じか」
「……ああ、そうだ」
「さっきの花も」
 てめェが置いたのかと問おうとすると、先に言葉を奪われた。
「ああ、おれが置いたんだよ、悪ィか」
 改めて悪いかと問われると、悪い気は確かにしなかったので、ここは素直にそう言うことにした。
「悪かねェがよ、珍しい事するもんだと思ってな」
「……」
 するとコックは急に黙りこくった。しんとした沈黙がしばらくの間漂っていた。
「……知ってるか? その花、薔薇っつうんだ」
「へえ?」
 聞いたことがある気はする。
「薔薇ってのはな、色によって違う花言葉があんだよ」
「花言葉?」
「そうだ。てめェの誕生日だから特別に教えてやろうか? 青い薔薇の花言葉」
「おう、聞かせろ」
「夢は叶う」
 コックは、左目を真っ直ぐにおれに向けてはっきりとそう言った。
「おれが選んだ色だ、ありがたく拝聴しろよ?」
 おれを見つめていた青い目はそう言って緩く細められた。視線が交差すると、どことなく淡く浮遊感が生まれた。とっくに酒は抜けているはずなのだが。
「……へえ。で、これは?」
 手にしている一本を軽く振って見せてみると、青い目はすぐさま狼狽の色に変わった。
「それは……いいんだ、その、てめェには青の方がいいだろうってな、まあ辞めたんだ、だから」
「ならこんなとこにばら撒かなくてもいいだろが。アレか? コイツは血の色だしよ、おれへの果し状かなんかのつもりかよ」
「果し状……? んな訳ねェだろ! ああ、教えてやるよ、赤い薔薇はな、この世で一番ムカつくやつに送る色だ」
「あァ? みろ似たようなもんじゃねェか」
「ありがたく撤回してやるから返せって言ってんだ、それ」
 しつこく残り一本を奪おうとするのを制し、抱えている花を丸ごと奪い返す。
「おおい! コラ、返せ」
「いや、これは全部貰っとく」
「はあ?!」
「てめェのこの世で一番ムカつく野郎は、おれが全部いただいとくぜ」
「ちょ、待て、それは」
「何かまずいか?」
「……いや、……」
「ムカつくならいつでも相手になってやるから好きにしろ」
 何やら茫然自失な様子のコックを後ろに残し、おれは花を抱えてもう一眠りを決め込むべくボンクのある寝室へと戻った。
 
 
 真紅の薔薇。
 その数、十二本。

 あの時、強奪した花の意味する花言葉というものをロビンに聞かされたのは翌日の事だった。
 一日中おれを避けて目を合わそうとしない嘘つき野郎を糾弾すべく、夜中のキッチンへ。
 灯りの付いた部屋の扉を開けたなら、何と言ってやろうか。まだその言葉が思いつかないまま、とにかくおれはドアノブに手をかけたのだった。

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