航海薄明(連載)

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3.第四の男

船尾に近い甲板に回ると、黒い影が二つ対峙している。一つは、青白い炎を纏っているように見えた。
「あの野郎……やっぱり、コックの上位技を使いやがる」
 右手で素早く刀の柄を握り込み、一刀を抜こうとしたその時だった
「おっと、マリモくんのお目覚めか」
 いきなり青い炎を纏った男の強烈な蹴りが鬼鉄目がけて飛び込んできたのだ。咄嗟にゾロは峰で蹴りを防いだが衝撃でビリリと腕に痺れが走る。普段のサンジとの喧嘩では受けたことのない、比類のない重い蹴りだ。
「ゾロ! ばか、来んな!」
 自分と戦うなんてことは経験がないゾロにも瞬時に理解することができた。こんな奴とまともにやってもサンジが勝てるはずがないと。なぜならこの男は、明らかに数段場数を踏んだ「サンジ」だ。あまりにも実力差がありすぎる。
「おい、コック! やめろ、コイツとまともに戦うな!」
「ああ? うるせェ、自分の始末は自分で付けらァ、引っ込んでろ!」
「そうじゃねェ! 無理だ、こいつァ……」
 ゾロが言い切らないうちに、サンジはもう一人のサンジに突進し、素早い蹴りを連打した。しかし一発も当たらない。すべての蹴りを避けられた後、激しい衝撃音とともにサンジは甲板の壁に激突した。男の青白い炎がもうもうと燃え視界を遮る。見たこともない破壊力。凄まじいスピードとパワー。恐ろしく強い。しかしそれだけではなかった。空気を裂いて伝わってくるのは雷にも似た強烈な痛みだ。これは一度体験したことがある、ゾロはそう思ったが、それが何なのかは分からなかった。
「くっ…………そ……ッ」
「コック!!」
 考える前にゾロは飛び出した。サンジは叩きつけられ、身動きできずぐったりとしている。
「……てめェは邪魔すんな」
 そういって男はゾロの視界に立ちはだかった。
「な?!」
 ほんの一瞬の、瞬きの間の出来事だった。目の前から失せた男は、ゾロの上空を『走って』いた。
 ――空を、駆けている……だと……?
 はるか上空に昇っていった砂粒のような男が、ある地点でふと静止した。青白い炎だけが頭上で月のように白く燃えている。
 ゾクリ、と、ある予感がした。
「ッ、やべえ!! 避けろ!」
 青白い炎がとてつもないスピードで、矢のように落ちてきたのだ。
 ゾロは思った。あれはアイツの技だ、見たことがある。何とかいう、料理名かなんかの、強烈な攻撃力のある蹴りが落ちてくるやつだ。瞬時にそう感じた。数段強いサンジがあの技を繰り出してくるならそれは悪魔のような破壊力を意味する。
 垂直に落ちてきた青白い炎が破裂したのと、ゾロが手を伸ばしたのはほぼ同時だった。

 激しい爆発音と閃光、飛び散る破片。
 
 気が付くと男は煙のように失せていた。ゾロの両腕の中に、傷だらけの見慣れたコックを残して。

 ◇

「……夜中に起こしちまって、悪ィなあチョッパー」
 医務室で横たわったサンジは、治療を受けながら悔し気に歯ぎしりした。
「いいんだよそんなのは。でもびっくりさせんなよなサンジ! いくらなんでも、夜中にゾロと喧嘩するなんてさあ」
「……悪かったよ、以後気を付ける」
「……」
チョッパーには、喧嘩がエスカレートしたと言ってある。まさか、サンジ本人が本人を襲いに来たなどといっても混乱させるだけだ、そう思ったのでゾロは、壁を破壊したのは自分だとも言ったのだった。
「でもさあ、サンジ、この怪我はどうみても火傷なんだよ。ゾロとやりあって火傷なんてしたことあったっけ?」
「あ? そりゃ、お前……あるだろ、一回や二回」
「チョッパー、おれの悪魔風脚を舐めんじゃねえぞ? 怒りで燃えりゃ、火傷で済めばいいほうだ」
「でも火傷してんのはサンジだよ」
「あ」
「自分で焼けてりゃ世話ねェよな」
「んだとぉう? てめえ、今度のてめェの焼き具合はウェルダンがいいか? 燻製がいいか?」
「あァ?」
「やめろよゾロ! 今サンジは一応けが人なんだから! 少し安静にしてないと怒るぞ」
「……悪ぃ」
 ぷんぷんと頬をふくらませて怒りながらチョッパーが出て行ったあと、医務室にしばしの静寂が流れた。
 あの男には一矢報いることすらできなかった。それが悔しいのは当然だが、それよりもやはり、理由のわからぬ敵意の不気味さのほうが圧倒的に大きい。それはサンジももちろんそうだろう。
「……最初に言ったろ、アイツとまともに戦うなってよ」
「”アイツ”って言うな」
「あ?」
「……なんでもねェ! ちっくしょ……自分の技くらってケガするなんてなあ、情けなすぎて涙が出てくらァ」
「あれァ、やっぱりてめェの技だな」
「ああ、紛れもなくありゃコンカッセだ。……しかし信じられねェパワーだったし、その前によ、あの野郎空を走ってやがったぜ」
 そうだ。あの男は軽々と、羽もないのに、まるで透明な階段を駆け上がるかのように空を走った。あの男がもし未来からきたコックだとしたら、いずれこのコックは空を飛ぶことができる、ということか。空を飛び、青白い炎を燃やし、まるで『覇気』のような電流をまとう、とてつもない重い蹴りを繰り出す男。朧げに浮かんでくるコイツの未来にゾロはふと、身震いを覚えた。
「あの野郎、なんだってんだ……なんでおれを? どっから来たってんだよ」
「……わからねェが、一つ言えることは、アイツはおれを殺そうとはしなかった、ってことだ」
「あ? ……たしかに」
「おれの前に立ちはだかりはしたが、あくまでも狙ったのはコック、てめェだった」
「そうだな……まあ、おれの次にてめェなのかもしれねェがよ」
「そんな気はしねェな」
「あ?」
 理屈もなにもない、ただの直観だったが、ゾロにはあの男が自分を殺すとは思えなかった。最初に向けてきた殺意とは何かが違う。邪魔をしてくれるなという言葉に請うような空気さえ滲んでいる、そんな気がしたのだ。

「まったく、意味不明だが、また来るんだろうなあの野郎」
「だろうな」
「もしかしてあれか? あんなに強くなったってのを過去のおれに自慢しに来やがったのか?」
「自分を殺してまで自慢してどうすんだ。過去の自分を殺せば自分も……」
 そう言ってからふと、何かがひっかかった。
 ――もし、あの男のいる未来と、今この時間が同じ世界として繋がっているのなら。そうだ、過去の自分を殺せばどうなる? あの男自身は、どうなるんだ?
 ふとコックを見ると、どうやら同じことを思いついたような顔だ。
「……何があったんだ、未来によ…………」
 その時だ。
 医務室の扉の外に物音がした。
「ッ、おい」
「ああ」
 人の足音だ。寝静まっている仲間の誰かではない、何者かが外にいる。
 鯉口を切りつつ、ゾロは立ち上がり、そっと耳を澄ました。確かに扉の外に、重ための足音が近づいてくる。
 ゆっくりと扉に近づき、ドアノブを握った。足音が目の前で止まった。
 素早く刀を抜き、構えたままの体勢で大きく扉を開ける。

「あ…………?」
 目の前に、男が立っていた。刀を三本携え、ずぶ濡れで、緑色の髪をした男が。


ひと言メッセージ

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