【歳の差シリーズ】天の川渡り (R18)

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果てしなく星は巡る

 今年も「あの日」がやって来る。
 
 記念日などと言うものは日頃気にもしていないつもりだ。むしろなんだかんだと覚えていて、それ祝いのスイーツだそれ肉料理だと手を込んだ料理を作る理由にしているのはアイツの方だ。それはもちろん悪い気もしないし、そんな日はアイツが心底幸せそうな顔をするものだから、それを見れるならまあ記念日なんてのはいくら多くてもいいものだとは思っている。
 けれど、来たる日については別口なのだ。
 星を巡る神話などとんと興味もなかったおれと同様、アイツだって、たいして気にも留めちゃいなかったに違いない。おれと出会うあの日までは。
 それを焼きごてのように、互いの消せない印にしたのはアイツ自身だ。
「彦星になるのは、もうやめた」
 そう言ってあの時天の川を渡り切った男は今、おれの隣で半裸でイビキをかいている。年に一度の逢瀬を生きる希望としている天のお二人さんには甚だ申し訳ないが、サンジという名の元・彦星は川を渡っておれを手に入れた後も、おれを船に乗せ決して降りようとはしないまま、四年が経とうとしていた。

 隣で眠る男の鼻を摘んでみると、フガ、と小さく言って寝返りを打ちこちらに顔を向けた。まだ熟睡しているらしい。それを幸いに、伏せられた睫毛、巻いた眉、それと同じ色をした顎鬚にそっと触れてみる。薄暗がりにほんのりと届く月明かりが、うっすらと男の顔かたちを浮かび上がらせていた。ここに確かに有る、サンジという男の存在を。
 ついさっきまで、その全存在に充ちる熱をもって、おれをがんじがらめにしていた男。その熱はあの頃と変わらず今もおれを手に負えないほど駄目にする。どうしようもなく求め、望んでしまう。泥沼に足を取られたのはおれ自身の責任ではある、けれど不埒な欲で誘った男はそれ相応の罰を受けてなお、おれを沸騰するかのようなマグマの中へ引き摺り込んでゆく。
「ん……」
 少し眉間に皺を寄せ、サンジは小さく顔を動かした。薄く瞼を開き、何度かの瞬きのあと首を動かしてこちらに向いた。
「お……もう朝か?」
「いいや」
 朝はまだ遠い。
 月もまだ沈んじゃいない。逢瀬の夜はまだ終わってはいない。
「朝は来ねェ」
「ん……?」
「朝は来ねェよ、永遠に」
 ボンヤリと不思議そうにおれの方を見つめる男を、今度はおれががんじがらめにする。頭ごと抱え込んで、呼吸を奪うように唇を合わせれば、少し驚いたのかサンジは一瞬為されるがままだった。唇を喰らい、頬を喰らい、首筋を喰らい、ギュウギュウに両手で身体を締め付けて、骨まで折ろうかというほどに抱きしめた。抱きしめながら、これから先のおれとコイツの日々を全部どこかに埋めてしまいたくなった。決して誰にも届かない何処かに。決してコイツが這い出てこれないほど深く。
「ゾロ……」
 どうしても離すのが嫌だった。背中に回した腕が、力を込めすぎて細かく震え始めた。
「あんたなんか……あんたなんか消えちまえばいい」
「……」
「消えちまえば、二度と朝は来ねェ。そしたら、……そしたら離れなくて済む」
「ゾ……」
 自分で発した言葉に、ふと思った。本当に今この男が消えてしまったなら、おれはそれで救われるのかと。この抜けられないマグマから這い出ることが出来るのかと。それは、おれの気が済むだけじゃないのか、と。
「ふふッ」
 腕の中の男が小さく笑った。
「馬鹿マリモ……お前もまさか、同じ事を考えてるたァな」
「え……」
「同じ事をだよ、おれも、いつも思ってる。このまま消えちまえばいいって、おれも、お前も」
 男の腕がふいにおれの背中に回り、ぐ、と力が入るのが分かった。
「おれが川を渡っちまったからだ。おれの渡った川は、二度と戻れねェ川だったんだよ、こんな風に」
 顔を上げておれの頬を両手に包み、サンジは掠れた声で言った。
「戻れねェ。だから、一緒に行ってくれ、ゾロ。地獄の果てに」
 地獄の果てに。
 同じ事をとあんたは言う。けどあんたの言う地獄の果てに、おれは本当に行けるのか? おれをいつか置き去りにして、あんた一人で行こうとしてるんじゃないのか。あんたの言う地獄は、おれの言うマグマの底と本当に同じなのか。おれはそれを知るのが怖い。
「ああ、あんたがもし、おれを置いて地獄に行こうとしたら、そん時は……」
「ゾロ、おれは」
「おれは、……どうすればいい」
 サンジは、黙っておれを見つめ返した。互いの呼吸の音だけが空を彷徨い、しばらくしてサンジは微笑んだ。眉を歪めて。
「お前は置いて行かれたりしねェ、そうだろ? 例え置いて行ったって、どうやったって同じ地獄に飛び込んで来るさ。もう分かってる」
 息が詰まった。

 おれ達に朝は要らない。貪り尽くせばまた望んで、終わらない地獄へ共に沈もう。

 果てしなく星は巡る。おれ達の地獄を遠くから見下ろしながら。

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