【歳の差シリーズ】天の川渡り (R18)

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福男

「ふいーっと、ただいまぁ」
 ドアを開けて、上着を玄関のフックに掛ける。靴を脱ぎかけて、やけに静かな室内に気づいた。
「あれ、まだあいつ帰ってねェのか?」
 リビングに入り、とりあえずビールでも飲むかと冷蔵庫に向かう前に、ふとテレビのスイッチを入れてみる。
『今年もやってきました、ここ青戎神社です。本日は十日えびす、開門神事の福男選びが今年も行われようとしています。さあ既にもう門の前には、今年の福男をゲットしようとする大勢の挑戦者たちがひしめき合っております!』
 レポーターの興奮気味の声が聞こえて来た。毎年恒例行事を中継する神社は、たまたまこの家の近所にある。門から本殿まで脱兎のように走り、一位から三位で辿り着く福男を目指して毎年大勢の人間が押し寄せる。
「あー、もうそんな時期かァ、早ェなあ」
 この寒い日に、福の欲しい男どもがよくぞここまで集まるもんだなと、ビールの缶を開けながらなんとなく横目で画面を眺める。すると、人混みを映すカメラがある箇所で止まった。スタート地点に並ぶ挑戦者たちのうちの一人をズームアップし始めたのだ。まだ閉められている大きな扉を強い視線で見据え、細かく足踏みをしながらスタートを今か今かと待つ男の顔が画面に映し出された。端正な斜め横顔には見覚えがあり過ぎた。
「ぞ、ゾロ!?」
 驚きのあまり缶を手落としそうになる暇もなく、一瞬でまた映像は引きの画面となった。けれど今のはゾロだ、間違いない。おれがあいつを見間違えるはずがない。
 スタートの瞬間を待つ集団の高揚が最高潮になる様子を映像は写し続ける。一瞬映ったゾロはおそらく、ポールポジションを取る集団の中にいるようだ。必死で画面に目を凝らしていると、ガタイの良い、いかにも日頃走り慣れているというようなスポーツウェアを纏った男どもの中に、いつものジャージを着込んだゾロらしき頭がチラチラと見える。
 大きな和太鼓の音が響いた。表門の扉が開かれ、檻から放たれた獣のごとく一斉に走り出す男たち。その集団の先頭にいるのはやはりゾロだ。カメラは表門の開いた扉から走り出した集団を映した後、すぐさま先頭を駆ける人間を追い始めた。数人が追って飛び出してゆくが、足が絡まり、または集団の中でぶつかって地面を滑り転倒が相次ぐ中で、猛スピードで力強く地面を蹴り、コーナーを曲がって、追随する数人をあっという間に引き離したゾロは最後の直線コースを独走状態となった。
『凄いです! とてつもないスピード、圧倒的な迫力です! これは追いつくのは難しい!さあ! 今年の一番福男まであと数メートル!』
 レポーターが絶叫している。画面に釘付けになっていると首位を走るゾロはついに本殿の前にトップスピードのまま飛び込んできた。すかさず福男を抱き止めるために神職たちが飛び出して来る。一位、二位、三位でたどり着いた者を特定するためである。数人に取り囲まれたゾロは、腕を上げ雄叫びを上げた。まるで大会で優勝した時のような、いやあの時よりももっとデカい獲物を勝ち取ったかのように、天に向けてゾロは勝鬨を上げ続けた。気づけばおれも、ビール缶をテーブルに叩きつけゾロと同じく両腕を上げてテレビの前で叫んでいた。
 ほどなくして賞品の酒樽を抱え満悦顔のゾロが画面いっぱいに映し出される。
「なんっ……て嬉しそうな顔してやがる……まさにお前さんのための賞品だよそれァ」
『それでは、今年の福男となったロロノア・ゾロさん! おめでとうございます! いやあとんでもない速さで圧勝でしたね?』
『あ、どうも』
『見事に一番福をゲットしました! 今日はどうしてここに参加されましたか?』
 そう問われたゾロは即答した。
『同居してる恋人に、福を、どうしても捧げたくて、そのために今日は、ここに来たんで』
 そう言ってゾロは、満ち足りたような、してやったような、喜びを抑えられないという笑顔を見せた。

 おれはもちろんその瞬間に豪速で家を出た。さっきのゾロの走りに負けてはいられない。家の前の道を神社の方へ曲がって、走りに走った。見物の人だかりが道に広がって狭くなる合間を謝りながら突き抜けて走る。あれ、まだ福男やってんの? などという外野の声が後ろへと遠ざかる。見えてきた本殿の前には、確かにさっき画面に映し出されたゾロが酒樽を抱えて立っていた。
「ゾロー!!」
 周りの視線を一身に集めているのも構わず飛びかかり力一杯ゾロを抱きしめた。
「うわっ! あん、た、ちょ、何でここに」
「見てたに決まってんだろ! この福マリモ! お前、また盛大におれの涙腺破壊しやがって……何だよさっきの不意打ちはよ!」
「あ、あんたに絶対、福持って帰るつもりで参加したんだ」
「酒樽目当てじゃなくてか」
「……それもある」
「ははッ」
 福を目指して必死で走った男が、まさかのおれのためだなんて。あんな風に雄叫びを上げて、手にした栄誉にあんな笑顔を見せるなんて。
 おれはなんて幸せな福を貰っちまったんだろう。
 堪え切れるはずもなく、おれは思い切りゾロを抱きしめ唇に吸い付いた。わああと周りの声が大きくなった気もするがそんなことはどうでも良かった。おれにとっての福男は世界で一番、いや宇宙で一番のいい男だ。それがおれの、おれだけのゾロであって良いのだろうか。こんな僭越な幸せを受け取れていいのだろうか?
「ん……ッ、ちょ、ばか、離せっ、て」
「この方は恋人の方でしょうか? なんとハッピーなお二人を見せつけられてしまいましたね、今年の福男さん誠におめでとうございます!」
 境内に一斉に拍手が響き渡った。おれたちへの祝福か、これも全て腕の中の男の徳たる所以か。

 後の全国ニュースに流れた映像におれたちの愛の接吻シーンが大写しになっていたのは、帰ってから知ったことだった。

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