【歳の差シリーズ】天の川渡り (R18)

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願い事 Side Sanji

男を抱いた。
名前は、ゾロと言った。

驚天動地とはこの事だと思う。生まれてこの方、男に何某かの興味を覚えた事などただの一度もないし、今のホストの仕事は己の嗜好の理にすこぶる適っている。麗しのレディたちに囲まれて求められる日々は至福だ、不満なんてあるわけがなかった。
ただ、じゃあ満足かと言われればそれは嘘になる。針の先ほどの穴から漏れる薄暗闇が大きくなるのを、過ぎる毎日のどこかでおれは恐れていたのかもしれない。今にして思えば。
店の裏口でふと出会った若造は、そんな針穴から差し込んだ強烈な光だった。
「ん? こんな若ェスタッフ、うちにいたっけか?」
「……バイトっす」
無愛想な低い声であいつは答えた。無視してもいいだろうに、律儀な野郎だと思った。鋭く意志の強そうな眼。見知らぬ人間に物おじしない態度。締まった体付き。そのどれもが、見事におれの隙を突いた。二の腕や首筋に浮いた汗までが瑞々しい筋肉を伝って男を飾っている。思わず、頭のてっぺんからつま先までじっと目で辿ってしまったのを察知されたか、居心地悪そうに奴は言った。
「な……んだよ」
「おめェ、若ェのにいい身体してんじゃねェか、分かるぜ、結構鍛えてんだろ」
思った通りの事を喋ったつもりだったが、何故か腹にあるものとは違う言葉が吐き出された気がしていた。おれは得意の軽口で、なんとかこいつを喋らせたくなってとりとめもなく言葉を繋いだが、最初の印象通りそっけない答えばかりだった。
それが火を点けたのかどうなのかは、分からない。
次に会う時に思い出させたくなったのだ。せめて五感の一部に爪痕くらいは、そう思った。
「じゃあな、バイトくん」
触れそうなほど接近してみたら、あいつの汗は新緑の香りがした。
自ら野郎に近づくなんて、これが最初で最後だろう。人生には不可解な一瞬があるものさ。そう思っていた。

あいつとはその後何度も店で鉢合わせた。その度によう、と声をかけるが、相変わらず奴は無愛想で、目を合わしもしない。そのくせ仕事ぶりは真面目そのもので、腕っぷしも良さそうなためか重い荷物も手早く片付ける。雇い主側とすりゃ重宝するんだろうと思った。ただバイトをしているだけじゃ身に付かなそうな筋力に、興味のまま聞いてみると、道場通いをしているという。剣道、柔道、合気道と、およそ道のつくものを極めようとしているかのようだ。ストイックな空気感はそのせいか。迷いなく伸びる背中もそのせいなのか。猥雑で酒の匂いが常に充満するこの界隈にまるで似つかわしくない、凛とした佇まいにおれは見つけてしまったような気がしていた。かつて諦めて捨てた何かを。

あいつのドアの部屋番号は311。
知ったのは偶然だ。けれどおれの脳裏に、ゾロが住む場所がインプットされたあの日から、どんなレディに誘われようと上の空だったのは必然だろう。居場所の代わりに捧げるモノは、それ以上の何でもない。対価、条件、そんなものは着替える服と同じことだった。血の流れる生身のおれ自身はいつも燻った肉体を放置して、ただ存在しているだけだったのだ。
吸い寄せられるようにおれはその扉のベルを鳴らした。

その部屋には、今のおれにはないものがギッシリと詰め込まれていた。未来、ってやつだ。
その中心にあいつが立っている。
拒絶されれば出て行くつもりで、ダメ元で努めて軽く言ってみた。
「や、悪ィなあ、泊めてくんね? 今夜」
さすがに奴は面食らっていたが、しまいにはズカズカと入り込んだおれを追い出す事なく受け入れた。図らずも知ったコイツの甘い所、それにおれは付け込んだのだ。後悔することになるかもしれない。けれど、誰かに近づきたい、誰かをもっと知りたいという欲望におれ自身が翻弄されていたあの時、その欲の行方をどうしても知りたくなった。
その日、バカ丁寧に、ゾロは二人分の布団を狭い部屋に律儀に敷いた。
野郎と並んで寝るのは思えば初めての体験だ。店の他のホスト仲間と酒を飲んで明け方まで雑魚寝したことくらいしか記憶にない。しかもこの日はシラフだ。
「狭ェなぁ」
「しょうがねェだろ、嫌なら出てけよ」
「嫌じゃねェよ? 一生懸命敷いてくれてありがとな、バイトくん」
「バイトくんじゃねェ、ゾロだって言ったろ」
「あぁ、そうだった、ゾーロ」
そう呼ぶと、ピクリと目尻が紅潮したのは気のせいか。さっさと寝ろ、とゾロは背中を見せて寝返ってしまった。
そのうちスヤスヤと寝息を立て始めたゾロの寝顔をしばらく眺めているうちに、この整った顔を乱す誰かを勝手に妄想し、嫉妬している自分を知った。
まずい、と思った。
ありったけの理性を総動員して、その晩は羊を数え続けた。

「お前、朝飯は? いつも何食ってる」
「別に……その辺のパンと、卵と、あとそこの」
ゾロが指差した先の棚には、プラスチックの蓋の付いた大きな缶が置いてあった。
「プロテインかよ……」
「ああ、あと牛乳」
想像通りのメニューに呆れてつい、手の込んだ朝メシを作って出してみると、ゾロは珍しそうに皿をしげしげと眺めた。
「食って、いいのか」
「バカ、てめェんちの冷蔵庫の食材だろ。若ェからっていってもよ、たまにはちゃんとバランス考えたメシ食え。毎日運動してんだろ」
人の話を聞いているのかいないのか、ゾロは頬を膨らませてもの凄い勢いでメシを平らげた。
「どうだったよ」
「……うめェ」
笑いこそしなかったが、満足げに顔を緩めて口元を拭うのを見ると、何やら自分も満たされてくるのが不思議だった。
おれの手で作ったメシを、コイツが食う。ただそれだけの事がとても貴重なことに思えて、おれはこんなにチョロい人間だったかと密かに頭を抱えた。

以来、似たような言い訳をして何度かゾロの部屋へ転がり込んだ。
女の部屋を追い出されたのは最初の頃の話だ。その後も客の女にあちこちからせがまれて泊まったが、何日も居付く気にはどうしてもなれず、引き止めるのを謝り倒し、また店でね、と言い捨ててはゾロの部屋へ向かった。
ゾロは断らない。が、大層勝手なオヤジだと思っているに違いない。
そのうちに、おれはゾロにメシを食わせる事では満ち足りないものを持て余すことになるのだ。

吹き溜まりのような路地裏に、猫が数匹ゴミを漁っている。
廃業したスナックの扉を、酔ったサラリーマンがしきりに怒鳴りながら開けろと喚いていた。
明け方近く、酔い潰れた女を送ってから、煙草に火を点けようとした帰り道。ふと搾り上げるような衝動が襲った。派手なネオンの看板が並ぶ通りの途切れた先にある、未来の詰まった若い男のことを想う。居た堪れなかった。自分はもう、世間のヤニに塗れたいい大人なのだ。己の欲と寂しさのために穢していいはずはない。そう思うのと、それでも歩みをやめない足とが激しく胸を苛んだ。
分不相応すぎる。あんな男が欲しいなんてのは。
身の程知らずな欲望だと思う。
けれど、何よりもアイツに欲されたい、そして同時に穢したい。とめどなく溢れる激しい情動に情けなくもおれは屈した。

「一緒に寝てくれねェか?」

おれの布団に、素直に滑り込んできたゾロ。
この間際まで文字通り受け取ったであろうゾロを今から穢す、その罪深さに躊躇いもあった。おれは卑怯な防波線を張った。
「お前、ほんとに彼女いねェの」
答えによっては嫉妬に狂う己を想像したところで、ゾロは言った。
「しつけェな、いたこともねェって言ってんだろ」
嘘は言っていないのだろう。目尻にわずかに赤味がさしている。そんなゾロが無垢のままおれの目の前に横たわっているのだと思うと、腹の底から熱いものが昇る感覚があった。
「そうか……じゃあ」
こういうのも初めてか。
おれはな、初めてだよ、ゾロ。
こんな風に、誰かを欲しいと思った事は。
口の外も中も柔らかだった。夢中でおれはゾロを舐め啜った。息を継ぎながら、鋭い光の宿っていた瞳を覗き込むと、戸惑いと驚きに潤みつつおれを見つめている。
「なあゾロ……抱いても、いいか」
ゾロは、拒絶の言葉を吐かなかった。
おれは、とことん狡い。全てを言い訳にしてゾロを抱いた。抗わず腕の中で強張る軀を抱きしめ、思いつく限りの愛撫をした。下着を下ろし、引き出したブツを咥えると、ん、と僅かに頭上で息が漏れるのがおれへのトリガーとなった。
解す間、千切れるほどTシャツの端を噛んで声を出すまいとゾロは耐えていた。が、その解れた口に膨れたカサの先を当てて先端を埋め込んだ瞬間に、その努力は無になったらしい。想像すら追いつかないほどの切なげな声が、ゾロの濡れた唇の間から漏れ始めた。苦しいか、と何度か聞くと、目をギュッと瞑ったまま首を振る。やめろと言わないゾロにおれはまたも甘えた。強く押し込み、往復し、ゾロの腹の中に欲をそのまま注いだ。
酷くしたと思う。
こんなに制御できなかったのは初めての体験だった。
何度挿し込んで、何度注いでも治まりもしない。このままだとゾロを潰してしまうと分かっていても止められない。前からも後ろからも突き入れた。動きに合わせてゾロの腹筋が卑猥に上下し、ダラダラと精液を垂らすのを見ると己の雄がまたグンと張る。キリがない。このまま永遠にゾロを抱いていたかった。そうすれば終わった後の罰を考えなくていいとさえ思った。
ひときわ強く突き込んだ時、ゾロは掠れた声を上げ全身を突っ張らせてイった。思わず背中を抱きしめて、おれはついに溢してしまった。
ゾロ、好きだ、ゾロ。
もうこれきりにするから。
意識の朦朧としたゾロを抱えて首筋にキスを落とし、己への罰を約束する。
「また来年の七夕に、必ず来るよ、ゾロ」
罰を受けた罪人として、もしもまた顔を見ることが許されるのなら。その想いは腹に飲み込んで、おれは再びゾロの唇を吸った。

住む場所は、とくに決めていない。
ボンヤリとやりたい仕事は以前から頭にあった。料理をする仕事。コックだ。
何処かで見習いとして雇ってくれそうな、人手不足の店を見つけるまでは、海沿いの街を転々としようと思っていた。
黒と白とオレンジの混じった西の空が、もうすぐ日暮れだと告げている。シーサイドのバーに電灯が灯った。ウミネコがバサバサとやって来ては、錆の浮いた岸壁の白い柵に等間隔に並んで泊まる。
何処に行こうが自由だ。自由ってもんは素晴らしいじゃねェか。誰にも指示されない、縛られない。好きな時に起きて好きな時に寝る。食いたいものを食い、気が向いた方へ歩く。
ずいぶんと久しぶりの感覚を引き摺りながら、海岸沿いをずっと西へ歩いた。
自らを騙すことには慣れている。自由の正体なんてもんも、とうに知ってる。若い頃には見えなかったやつだ。それは充分罰ゲームになり得るって事も。
一晩中抱き潰して、顔も見ず出て行った男を、奴はさぞかし恨んでいる事だろう。
おれにさえ出会わなければ、あんな目に合わずに済んで、真っ当に彼女でも作って、まともな仕事に付いただろう。アイツの通う何やら道を、彼女の熱い応援でも受けて真っ直ぐ進んでいけるに違いない。
こんなふしだらな男に捕まりさえしなきゃァな。
アイツは最中におれの名を呼んだ。無意識だろうが。
おれはきっと、もっと呼んでほしかったんだろう。もっとおれを欲して、がんじがらめにして欲しかった。自由なんてのは糸の切れた凧と同じだ。どこかに辿り着こうがバラバラになって落ちようが自由。消えて見えなくなった凧のことなんて誰も気にしはしない。
縛られて、強く引かれる糸が欲しい。
そう思わなくなる日がおれにやって来るだろうか。自信はなかった。けれどやらねばならない。あの無垢な男を穢した罰が生易しいものであっていいはずはないのだ。

一年に一度、七夕の日には恋人の織姫と彦星が出逢うことができるのだという。
恋人なら、出逢えるのか。
恋人なら、逢いに行っても許されるのに。

陽が溶けかけた海は水面に金色の膜をはり、哀歌を奏でる準備を始めていた。

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