サンゾロ真ん中Birthday2022に寄せて書いた「天の川渡り」が続いてしまいシリーズとなりました。チャラサ(若干クズ)ですが彼は本当は一途なのでした…歳の差サゾもおっさんじも初めて煎じさせていただきました笑 話の時系列順に並んでいます。気が向いたら続くかも。
2023.1 5話目「如月夜話」を追加しました。
2023.3 6話目「仕返し」(サン誕に寄せて書いたもの)を追加しました。
2023.8 7話目「三年目」を追加しました。物語中では今年で三回目の七夕の…だそうです
2024.3 8話目「福男」を追加しました。実在する神事のパロ。
2024.8 9話目「果てしなく星は巡る」を追加。恒例の真ん中バースデーに寄せたものです
願い事 Side Zoro
「来年また、必ず来るよ、ゾロ」
呪いみてェなアイツの言葉をどれだけ反芻したか分からない。
あの日も昼間に小雨が降っていた。陽が落ちる頃にようやくやんだ雨は代わりにもったりと重たい湿気を連れてきた。部屋の古いエアコンは効きが悪く、扇風機を強にしようとスイッチに手を伸ばした時だ。ピンポン、と玄関の音がして、おれはついドアを開けてしまったのだ。
「や、悪ィなぁ。泊めてくんね? 今夜」
現れたのは、サンジという男だった。
歳はおれよりもひと回り以上は上の、いい大人だ。この男に出会ったのはバイト先の酒屋の取引先である、とあるホストクラブだった。
「泊め……って、何で、ここに? 家あんだろ、あんた」
「いやァ、ちょっと家には戻れなくてよ。女の子んとこ泊めさせてもらってたんだけど追い出されてさ」
なんて事もないように、頭を掻いてヘラっと笑う男に呆気に取られていると、サンジはさっさと靴を脱ぎ始めた。
「ちょ、おい、だからってなんで」
「まぁいいじゃねェか。ん? お前、なんか都合悪ィか? 彼女とか?」
「いねェよそんなもん」
「そんなもん、ってお前ね、レディに対してあんまりな言いようだぜ? そりゃぁ」
そう話しながらもサンジはズカズカと部屋に入ってきて、ベージュ色をしたネクタイをくい、と緩めながらエンジ色のジャケットを無造作に脱いだ。その出で立ちはいつもの店で女に囲まれてご満悦の、見慣れたホストの仕事着である。
「……なんで追い出されたんだよ」
ある程度予想はしたものの、一応尋ねて見ると、サンジは悪びれもせず答える。
「や、分かんねェんだよな」
「は?」
「女の子と歩いてんのを何回か見かけたらしくてよ、同伴なんだってのに、彼女はまあ、独占欲が強いっていうかね……仕事辞めろってビンタされちまってよ、はは」
あんな店に通い詰めるような女に共感はねェが、よりによってこんな男にハマっちまった、という事実には少しばかり同情してしまう。
コイツの仕事柄、女と絡みながら夜道を歩いているのを見かけるのはしょっちゅうだった。ある夜、部屋に戻ろうとした時にたまたまコイツといた女がおれの同じアパートだったせいで、おれの部屋がコイツに知られた。離れてはいたが同じフロアにある女の部屋でコイツはよろしくやってんだと思うと、感じた事もない胸糞悪さにありったけのビールを煽った記憶がある。しかし、まさか部屋を覚えられているとは思わなかった。
そう、コイツに会うたび、やけに気分が落ち着かなくなる。バイトをやめれば会うこともなくなると思ってはみたものの、酒を運ぶバイトは人手不足で、おれが辞めたら相当困るのは分かっていた。コイツの勤めるホストクラブが昔からの店のお得意さんな事も。つまり渋々、毎晩のように店でコイツを見かけるはめに陥ったのだ。
この男に初めて出会ったのは。
店の裏口のタタキのところで、酒瓶のケースを運んでいる時だ。喫煙場所を兼ねていたので、そこにコイツがふらりと現れた。
「ん? こんな若ェスタッフうちにいたっけか?」
「……バイトっす」
「ああ、酒屋の?……ふぅん」
煙草を唇に咥えたまま、奴は無言でじっとおれに視線を合わせていた。
「な、……んだよ」
「おめェ、若ェのにいい身体してんじゃねェか。分かるぜ、結構鍛えてんだろ」
不躾に何を言い出すんだと思った。誰にでもそんな風に距離を詰めてくるのに慣れてやがる。それもその筈だ、この男は店でもトップランクのホストな事は耳に入って来る店内の会話で知っていた。サンジさんご指名です、サンジさんサンジさん。毎日享楽的な女どもの黄色い声で呼ばれる男が今、目の前にいる事に動揺が走った。
「……どうでもいいだろ、んな事」
「ヘェ、物おじしねェのな。お前、もったいなくねェか? そんな重てェもん毎日運ぶより、ここでホストやったらどうだ。けっこうイケると思うぜ」
「おれはそういうのには興味ねェ」
「おっ…と、わりと固いんだなお前さん? そりゃ残念」
そう言って、に、と口角を上げると、男は長く煙を吐き出して、ポケットに両手を突っ込んで壁にもたれた。エンジ色のスーツに黒いシャツ、白いネクタイ。そして何より目立つのはその金色をした髪。なぜか眉毛は珍妙な形に渦巻いてある。どこから見てもこれは目立つ容貌だろう。そしておそらくは、コイツ自身もその容貌が武器である事を熟知しているに違いない。
「じゃあな、バイトくん」
帰りすがりに奴は、何故かおれの耳元ギリギリに近づいて低い声でそう言って去った。濃い煙草と酒と、香水の匂いを残して。
あれはわざとだったのだ。それを、今日確信した。
シャワーを浴びて、首にタオルをひっかけたサンジは、何か着るもん貸してくれというので仕方なく自分のTシャツを一枚投げ渡した。
「服ぐらいねェのかよ」
「ほとぼり冷めたら後で取ってくるわ。まーた張り倒されちまう」
「あんた、自分の家はどうなってんだ」
「ん? あるぜ? でもほら、借上げマンションなもんでよ、周りも店の野郎ばっかだし、独り寝は寂しいもんだろ? レディが泊めてくれるってんなら断る理由はねェ」
どうしようもねェ男だと思った。場繋ぎにおれの部屋を選んだのもたまたま知っていて近かったからだけだろう。けれど、どうしてもすぐに追い出す気になれない。自分でも少し混乱しているのかもしれない。この男には関わらない方がいい、理性がそう訴えているにもかかわらずおれはその日、コイツを部屋に泊めた。
その翌日、男は礼だとか言いながら何やら美味い朝食を作って、出て行った。
再びこの部屋に奴が来たのは数日後だ。理由も変わり映えしないもんだった。どうにもコイツは一人では居られないのか、あれだけ毎日女に囲まれていながらまたここを訪れた事が不思議で仕方なかった。尋ねてもまあいいじゃねェか固い事言うなよと、相変わらずのうやむやな返事で数日居着いた。
そんなことが数週間ほど続いたある日。
またも転がり込んできた男にさすがにおれは業を煮やして言ってやった。
「いい加減にしろよ! ここはあんたの簡易宿泊所じゃねェんだ、仕事してんだから、新しく部屋でも借りて引っ越しゃいいだろ! 一体何度目だよ大の大人が情けねェ」
「悪ィ、そう怒るなよ、今日の晩飯、お前の好きなスキヤキ作ってやっから」
「っ、ガキ扱いすんな! だいたい、あんたみたいな女好きがおれんとこにばっか居着いてんのおかしいだろ」
「あー、たしかになァ、お前、よくみりゃ立派にいい男だもんなァ、モテんだろ? なんで彼女作らねェの?」
「そんな話してんじゃねェ」
「彼女でもできりゃ簡単におれを追い出せんのにな、意外と甘ェなお前」
「ッ……、だから言ってんだろ! もういい加減に」
「ゾロ」
男は突然、声のトーンを落としておれの顔をジッと見た。ドクリ、となぜか心臓が跳ねた。
「もう少ししたら、ちゃんと出て行く。だからさ」
男の吐く息が近づいてくる。あの出会った時みたいに、頬すれすれの耳元まで。
「一緒に寝てくれねェか?」
おれは、馬鹿だった。
とんでもなく、馬鹿で、迂闊で、間抜けだった。
布団を2枚並べて敷くのが精一杯のこの狭い部屋で、文字通り一緒に寝るなんて無理だろ、と、そんな事を思ったのだ。
独り寝が寂しい寂しいと、事あるごとに呟いていた男のことをうっかり慰めてやりたくなった、それが命取りだった。
コイツの言う「一緒に寝てくれ」は、勿論、そんな意味じゃなかったのだ。考えれば分かることだったのに。むしろ何故今まで、素直に枕を並べてコイツと『無事』寝ていられたのか。
おれはその夜、激しく後悔したのだった。
◇
抱き潰される、というのはこう言うことを言うのだと知った。
一緒に寝てくれと言われて、おれは来客用の布団(と言っても実家から持ち込んだ予備の煎餅布団だ)に、出来るだけ面積を取らないよう縮こまりつつ恐る恐る滑り込んだ。サンジは肘を立てて横向きにおれの方を向いていた。これは、いわゆる添い寝というやつか。狭っ苦しいが、寝付けばそのうち布団から出りゃいいかと考えていた。
「狭ェ」
「今晩だけだから、さ」
サンジは肘を立てたまま、おれの真横に顔がある状態だ。そんな体勢じゃ寝られねェんじゃねェのかと言うと、後で寝るからいいんだ等と意味不明なことを抜かした。
「お前、ほんとに彼女いねェの」
「しつけェな、いたこともねェって言ったろ」
「そうか……じゃあ」
こういうのも初めてか、と、奴の唇が降って来たのだ。
突然の事に頭が追いつかず、身動きがとれなかった。
口を口で塞がれ、息が苦しくなって、奴の体を離そうとしたが手遅れだった。おれに覆い被さった男の体重はそれほど変わらないはずなのに、がしりと錠を嵌められたように体が動かない。
やっとの事で顔を離すと、目の前に男の青い眼が射抜くようにおれを見ていた。ようやく何をされたのか理解したおれはとにかく口を動かして抵抗の言葉を示そうとした。
「なっ……、に、すんだッ」
「キス」
「…………ッ、な、んで、おれに」
「ダメか?」
「だ、」
めだろ、と言おうとしたのを再び唇で遮られた。顎を開かれ、生温かい舌が差し込まれてきて口の中を何度も掻き回してくる。強い力で頬を掴まれていて逃げられもせず、身体も動かせず、ただなされるがままだった。唇を離したサンジは熱い息を吐きながら言った。
「なあゾロ……抱いても、いいか?」
「…………」
そんな馬鹿な事をさせるはずがない。そうだ、普段のおれなら。骨折させるほどコイツを殴り飛ばして部屋から叩き出せば終いだ。そうしなきゃならない。けれど体は動かない。拒絶の声も出ない。頭がボゥっと湯気が立ち込めたように霞み、体を這う奴の手のひらの動きを全神経が追っていた。
おれは、奴に抱かれた。めちゃくちゃに、色んな所を撫でられ、吸われ、搾られて、貫かれ、何が何だか分からねェうちに射精した。シーツがグショグショに濡れて気持ち悪いと思う暇もなく、奴がイッた後もまた抱かれ、また挿れられた。激しく揺さぶられているうちに、抱きしめられた背中から奴の声がした。ゾロ、好きだ、ゾロ。
嘘くさすぎる。そう思った。コイツがおれを好きなわけがない、きっといつもこうやって、腕の中の相手に同じ事を言っているに決まってる。馬鹿馬鹿しい、男のおれにコイツは何を言ってるのか。誰と間違えて言っているのか。
背中も、腹も、顔も、全部がびしょ濡れで気持ちが悪い。なのに腹の中で再び精液が吐き出された感覚におれは酩酊し、自身でも聞いたことのない声を上げた。もっと注げと思った。誰かに与える分が一滴たりとも残らないくらいに、ぜんぶおれに出せばいいと思った。じくじくと心臓が痛んだ。液体が満ちていく体内と裏腹に、カスカスに乾いた舌先が、見知らぬ感情を叫んでいた。
おれのケツにイチモツを収めたまま、耳元でサンジが囁く。
「な……また来年の七夕に、必ず来るよ、ゾロ」
「なん、で……来年?」
そう尋ねたが奴は答えずに、おれの顎を取って唇を啄んだ。
いつの間にかおれは、身体を全部委ねてコイツの名を呼んでいたようだった。もっと呼んで、ゾロ、と掠れた低音が耳を擽ってゆく。そうして朝までずっとどろどろに抱かれて、あまりにも急速に立て続けに与えられた濃い快感に、意識を失った。
気づくと隣はもぬけの殻だった。おれの体じゅうに塗れていた精液と唾液はきれいに拭き取られていた。
残されていたのは灰皿に煙草が三本だけ。
ふざけてやがる。
扇風機の首振りの軋む音だけが、嗤うように部屋を彷徨っていた。
◇
アイツが出て行った翌日、おれはバイトを休んだ。店で会ったら、どんな顔をしたらいいか分からない。本当は横っ面を張り倒してやりたいが、きっと顔を見ればそんな気は失せるだろう。また転がり込んで来ようものなら今度こそ追い返す。そう決めていた。相変わらず女とイチャつくアイツを目にするのは、キツいと思った。腹立たしいが、同時に何か泣きたくなるような、胸を掻きむしりたくなるような感覚がある。女どもは金を払っていとも簡単にあの男の腕の中にたどり着けるのだという事。存分に可愛がられ、愛されて、それを誰も疑問に思いやしない。
けどおれは、一体なんだったのだろう? あの職業が天職のような女好きの野郎が、若造を気紛れに抱いてみた、ただそれだけの事だ。何でそんなに拘らねばならないのか。
翌日も、バイトを休んだ。心配して電話してきた店長には風邪をひいたと嘘をついた。
翌々日、これ以上は休めないとバイトへ向かった。当の店に行くのはやはり勇気がいったが、あの男が何を言おうと、もう取り合わずやりすごしてやると心に決めて。店に着いて、そっと店内を覗ってみると中からの会話が聞こえてきた。
「えー! サンジくん、辞めちゃったのお? どうしてぇ?」
「やだー、どうして言ってくれなかったの?」
「申し訳ありません、急な事で……昨日付で」
退職?
サンジが?
頭が、真っ白になった。
部屋に来ずとも、店に来ればいつでも会うことは出来るとおれはタカをくくっていたのだ。
何も考えられなかった。
その後、数週間ほど経ってそれとなく店のマスターに聞いてみると、サンジの転職先は聞いてないと言う。借上げマンションもとうに引き払われていた。サンジの行方は、全く分からなかった。
◇
空の風景がすっかり冬に変わる頃。おれはまだ酒屋のバイトを続けていた。新入りも入り、出入りする店のルートが変わったので件のホストクラブには足を運ぶことがなくなっていた。ただ、その歓楽街の近くには相変わらず得意先があったので、あの店の近くはしばしば通りがかる。
金髪で、片方の眼を隠し、咥え煙草で少し俯向きかげんに歩く男。そんな似た風貌のスーツの男を見かけるとおれは無意識に目で追っていた、らしい。
「あァ? 何ガン付けてきやがんだ坊主? 生意気な野郎だな」
似ても似つかぬ下卑たチンピラに絡まれた事も何度となくあった。この手の連中は、徹底的にのしてしまうとタチの悪い仲間が後から現れるのは定石だったので、おれは絡まれると日頃道場で学んでいる居合い抜きの型を見せて相手の動きを止めてからサッサとずらかる方法を取った。
それでも、金色の髪をした男を探す事はやめられなかった。
アパートに戻ると、同じフロアのあの女の部屋から派手な化粧の女が出てくるのにすれ違った。すれ違い様の女はキツい海外製か何かの香水の匂いを振り撒いている。思わず、鼻を利かせて嗅いでしまった自分に笑いが出る。あの男の、煙草の混じったほの甘い匂いがしないか確かめてしまったのだ。女はただただ、主張の強い香水の匂いだけを撒き散らして歩き去った。
あの男は何処へ行ったのか。
たった一日の交わりが、果てしなく無為な日々を生む。
冬が過ぎ、春風が吹く頃になった。おれは大学4年に進級した。周りが就活にワタワタと騒がしくなってきたが、おれは一向にそんな気になれず、授業と、道場と、バイトの往復に日々を費やした。
バイトはまだ続けていた。
ようやく、なぜ自分はさっさとこのバイトを辞めなかったのか、今もやめないのか、その理由が分かる気がしてきたのだ。
夜の街を歩けばあの男がどこかに現れるかもしれない。
その可能性を、そのチャンスをどうしても捨てきれない。
ここまで己が馬鹿だとは思いもしなかった。あれは一度きりの奴の気紛れだ、魔が差して付き合ってしまった自分の愚かさにほとほと呆れていたのだ。それなのに、奴のあの言葉を何度も何度も反芻している自分に、いい加減参っていた。あれは一体なんの呪いだ。
「また来年の七夕に、必ず来るよ」
春は急ぎ足で過ぎてゆく。
西の空に入道雲が見える。
まとわりつくような湿度が次第に部屋に忍び込み、壊れかけていたエアコンの事を思い出した。スイッチを入れてみると、ブーンと一応返事をしたのでそのままにしておいた。そのうち、たいして冷たくもない黴臭い風が額の上を撫でていった。
缶ビールのフタをプチンと上げて、ゴクゴクと一気に飲み干してみる。
酒は、まあ美味い。けれど、それ以外は美味いものなんて何も無い。西日のさす狭い部屋に、ぬるいエアコンの風が無遠慮に駆け回った。遠くで、小学生の集団がケラケラと笑いながら、じゃあなー、また明日なー! と馬鹿でかい声で別れの挨拶を交わしている。また明日な、といえば文字通りあのガキ達は、翌日も学校や塾で当たり前のように出会うのだろう。日が落ちてまた日が昇れば、当たり前のように。
壊れかけのエアコンは、キリキリと危なげな音をたてて愚直に回り続ける。そのリモコンのボタンを上から順に指で撫でてみる。無機質な、温度のない固い凹凸。握っているビール缶の水滴がそのボタンにひとつ、ふたつと垂れた。
一年に一度、七夕の日には恋人の織姫と彦星が出逢うことができるのだという。
恋人なら、出逢えるのか。
恋人なら、待っていても許されるのに。
天気予報では、今年の七夕は停滞している梅雨前線の影響で大雨が降るでしょうとしきりに訴えていた。