夏来るらし
アイツと離れて半年が過ぎた。
『続いて天気予報です。関東地方は今日も雨ですね、お天気の◯◯さ〜ん?』
『はいはい! こちらお台場前です、朝からパラパラ来てしまいましたね! 私も今朝はこの、長めのレインコートを着込んで来ました!』
民放のアナウンサーの言うとおり、今日も諦めろと言わんばかりに強目の雨が曇天から落ちてくる。午後には次第に晴れ間も見えるでしょう、と期待を持たせる言い方で天気予報コーナーが終わったテレビに向かって「ヘイヘイ」と思わず返事をしてしまった。
上京して初めて迎える夏がやって来る。その前に「梅雨」という洗礼がある事は、話に聞いて知ってはいたけれど、こうも毎日うんざりするほど湿っぽく降り続くとは。故郷にはないこの亜熱帯な気候を楽しもうにも、洗濯ひとつまともに干せもしない事にサンジは早くも根をあげそうになっていた。
「クソ、これも乾いてねえ、コレも、コレもかよ…!」
ふう、と今日何度目かのため息をつきながら、仕方なく唯一乾いているシャツを手に取る。本当は、今日は気に入りのカラシ色のカラーシャツを着るつもりだった。雨が落ちるとその部分が染み込んで色が変わってしまうシャツを、サンジはどうしても今日着たかったのだ。しかし乾燥機の ない洗濯機では仕方がない。
「ややこしい」
「んあ?」
あれはいつかの秋の帰り道。背丈ほどもあるススキの海の中を、ゾロと歩いていた時のこと。後ろから唐突に声をかけられ、サンジは生返事を返した。
「何が」
「その色、てめェのシャツ」
「はあ? これが? ややこしいって何だよ」
「てめェのアタマの色と、ススキの色と、全部混じっちまうだろが」
「……ああ、そゆこと?」
何を言い出すかと思えば。サンジは後ろを歩くゾロを振り返る前に、とりあえず素朴な疑問を問うてみた。
「全部混じっちまうと、なんか具合悪いのか? おめェ」
「そりゃ悪いだろ」
しごく当然、とでも言うように鷹揚な調子の返事が返ってきた。
「そのままてめェが溶けちまったらよ…ッ」
その後のセリフが続かず、急にゾロはウ、と声を詰まらせた。思わず振り返って見ると、果たしてゾロは顔を真っ赤に熱らせてこちらを睨んでいる。口元は一文字にしっかりと結んだまま。
何だその顔は。おれは何を見てるんだ。
一陣の風がびう、と頬を殴り、黄金色に熟れたススキの群れを大きな筆でなぞるように音を立てて駆け抜けていった。ザザァ、ザザァと、無言のふたりの間に風だけがうるさく線を引く。黄金色の海。地平線に抗おうと燃える太陽。立ち尽くすふたりの影が夜を待つ乾いた大地に飲み込まれていった。
あの時のゾロの顔が、忘れられない。
でも何と答えたのかは覚えていない。
おれが溶けちまうなんて妄想と、あの脳筋マリモがどうしても結びつかなかった。それこそイカれちまいでもしなけりゃあり得ない事だ。だけどあんな顔で冗談を言うような気の利いたヤツでもない。そう、あれは……本気で、言った、んだ。
このシャツを着るたびにあの日のゾロを思い出す。今日は、それを自分に許す日なのだ。サンジは再び生乾きのシャツを手に取り、従順に回る扇風機の前で何度もそれをはためかせた。
空は、濃いグレーの雲を風に晒しながら少しずつ、雨を仕舞い込もうとしていた。
梅雨明けが近づいている。