星の泉

タグ: [1244 text]

血の跡を見つけたのは、小一時間ほど歩いた林の中の小径だった。
辛うじて人ひとりが歩けるほどの細い獣道の足元に点々と、滴り落ちた赤黒い跡が続く。それを追って、遮るように伸びる枝を手折りながらサンジは焦りを感じていた。辿っている血の量からみて、尋常な怪我ではない。
これがアイツのものではありませんように。この小径の先にある修羅の化身のような男が無事でありますように。そんな笑えるほどナイーブな祈りを一歩ずつ踏み潰しながら歩く。
月明かりの導いた先に、ひんやりとした風が吹いてくる場所があった。葉陰を寄り分けて近寄ると、僅かに水音が聞こえてくる。
パシャ…パシャ…
昏い林の中にあったのは、星の泉だった。
天の川からの星が全部落ちて来たのかと思うほどの、眩い光の洪水が視界を埋めた。まるで星の砂を一粒ずつ千年掻き集めてきたかのようだ。絶え間なく瞬く星達を水面に映して、それでいて恐ろしいほど静かな空間の真ん中に、赤く滲むものが泳いでいる。この世のものとも思えぬ光景に、サンジはただ絶句した。
泳いでいるのは人間の男だと、理性が言う。なのに声が出ない。あれがゾロだと思いたくない。星の渦を血染めにして、そのうち泡だけを残して消えてしまうに違いない、そんなモノが、ゾロのはずないじゃないか。サンジは己をそう言い聞かし、泉の中心に目を凝らした。
ザブ…ザブ…と水音は近づいてくる。男が近づいてくるのだ。そのひと掻きごとに泉は鮮やかな朱に染められ、煌めく星々が散らされ、波紋に不安げに揺れた。そしてついにサンジの目の前に泳ぎ着いた男は、いつもの濃い緑色をした羽織りとともにずぶ濡れでゆらりと岸辺に現れた。
「ゾロ……? お前、ゾロか? おいその血は」
濡れた男は不遜な笑みを浮かべて言う。
「ヘマしたが、……なんとか、なんだろ」
そう言った次の瞬間にゾロは腹を抱えてガクリと膝をついた。
「おい!」
サンジはすぐにゾロを支えるように抱きとめた。血と水とでぐっしょりと濡れたゾロの身体の重みを受け止め、ようやく夢ではないのだという実感がした。足元の地に溜まりを作った紅い液体が、みるみる透き通って泉へと流れ込んでゆく。見れば、赤く染まっていたはずの泉は透徹さをさらに増して眩い天の光を隅々まで揺蕩わせていた。
癒しの泉に抱かれたゾロを目にしていたのだと、サンジは唐突に知った。途端に襲う己の汚れた感情。胸を裂くような黒い痛み。初めてではない。本当はずっと前から知っている感情だ。目を背ける事を許さぬほど美しく横たわる泉の前に、変わらぬ絶望が晒されただけのこと。

「おい、連れてけ…眉毛」
自分の肩に顎を乗せ、全体重を預けてきたゾロは深く息を吸い、そして吐いた。呼吸は静かで、ひっそりと安心しきっている。その事に、サンジは震えた。両腕の中の確かな質量が、どこでもないただ一つの場所にいま己を選んだのだ。そのことに、ふたたび震えた。
どんな化身になろうとも必ずおれが連れていく。
そんな秘密の誓いは星の泉に沈めておこう。
「ああ、帰ろうぜ。ゾロ」

error: