突然、ドドーンという大きな音が響いて顔を上げた。上の部屋の奴が何事かやらかしたのか、それとも雷鳴? 近所で爆発?
急いで窓を開けてベランダに出てみると、東の方角にチカチカと輝くものがある。
「何だあれ…?」
サンジは不思議に思って、目を凝らしてみる。刻は夜の8時を過ぎた頃だ。遠く夜の海に、時たま通り過ぎる漁船の灯りが申し訳なさそうに小さく揺れている。その水平線の辺りが輝いていたのだ。再び、ドーン! という大きな音が安普請のマンションの壁に響いた。数秒差で丸く煌めくものが海の上を飾り出す。そうか、あれは花火だ。そう気づいた時だった。
「花火か」
低い声が聞こえた。何処からだろう。外の道からだろうか。ベランダの柵を乗り出して下を覗こうとすると、ふと人の気配を感じて隣のベランダを見た。
すると、同じように東の空を覗きこんでいる男が目に入った。そういえば、空室だった隣の部屋に最近誰か引っ越してきた気がしていた。が、特に挨拶もなく一週間ほど過ぎていたのですっかり忘れていたのだ。
「お?」
つい、そう声が出てしまい、隣の男が振り返ってこちらを見た。
「花火だよな」
てらいなくその男が言うので、つられて答えてしまう。
「お、おう……花火だ、な」
「こんなとっから花火見えんのか、こりゃいいなァ」
見るとソイツは缶を手にしている。おそらく酒だ。遠くの花火をツマミに、ずいぶんと機嫌が良さそうな男につい気が緩んで聞いてみる。
「あの、さ。お前も、学生? ここの」
すると男はがっつりとこちらに向いて答えた。
「おう」
「学部は?」
「あー…何だったか」
「おいおい何だったかって、自分の学部忘れんな?」
「まあ剣道学部ってとこだ」
どうやらコイツは、スポーツの特待生で入学して来た奴らしい。どおりでその辺の野郎より体格が良いはずだ。
「なるほどスポ推か、にしてもまさか本当に覚えてねェわけはねェだろ?」
「おう、てめェと同じ学部だな」
「へ?」
何でおれの学部を知ってやがるのか。コイツとはこの学生マンションでもかち合った事はないというのに。
不思議に思って訊ねてみると、大学構内で何度かおれを見かけたという。
「そんなに眉毛を巻いた野郎はほかに見た事ねェ」
そう言ってクスッとその男は笑った。それがなぜか、馬鹿にしている風ではなくて、親しみに似た感覚に思えてまた不思議だった。
海風がたっぷりと湿気を帯びて体にまとわり付いてくる。
「なぁ」
おれは第六感というものをわりと信じている方だ。本音を言えば、今コイツとの間を隔てているベランダのパーティションが邪魔で仕方なかったのだ。
「うちで飲まねェ?」
思いがけない誘いに違いなかったろう。それなのに、その男は少しだけ驚いたような風をした後に、おう、行っていいのか。などと弾んだ声で答えたものだから、思わず浮かれてしまったのは不覚だった。
まだ、互いの名前も知らない頃の話。
「そういや、あん時も花火大会の日だったな」
「あぁ、覚えやすくていい」
「え?……」
ゾロはそれには答えずに、溢れそうな杯を一気に傾け、透き通った液体を喉に流し込んだ。心なしか、うっすらと朱に染まる首筋を晩涼の風がすり抜けてゆくのを面映い気持ちで見つめる。
ドーン
デカい音とほぼ同時に、頭上に開く大輪の花。あの頃のように、音に紛れて無骨な手の甲をそっと握ってみれば、僅かにゾロは身じろいた。