畜淫池

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「ちく…いん…ち?」

「そうです、『蓄淫』池でございます」
全くもって聞き慣れない単語に、脳内にかかった蜘蛛の巣を振り払うべく頭を振った。まず音声だけではその意味がまるでわからない。頭を傾げる男二人を前に、その商人はここぞとばかりに営業トークを繰り広げ始めた。
「ちく、は蓄電池の畜。いん、は、淫乱の淫でございますよ旦那!」
「え……ちょ、おい待て、いん、らん、っつったか今? まさか、まさかそれは…その…」
サンジが喉を鳴らす音が聞こえた。ゾロはいやな予感がした。
「お察しの通りです旦那! こいつは画期的な発明ですぜ。蓄電池と同じように、一度致せば蓄える事が出来る代物なんでさ。つまり、感覚の再現が可能! しかも一か月間蓄淫オーケー! お一人になった時でもこっそり、昨夜のお楽しみがリアルに甦るってやつなんですぜ!」
「なん…だと……」
「おい」
「まだ世間様には知られてないんで特別にあなた方にご奉仕! どうです、ほらこれ」
半ば強引に商人が差し出してきたのは何やら紐のようなものが付いた、二種類の瓶のようなシロモノだ。
「おい、んなもん興味を持つな」
「てめ黙ってろ、おいオヤジ、この二種類あんのは何だ?」
「コイツはほれ、あれですぜ、こっちは攻め側用、こっちは受け側用になってましてね」
「は……」
「おいって」
「まあ時たま、戯れにお相手のと交換して使うカップルもいらっしゃるようで。使い方はお好み次第ですぜ、旦那、どうです? お一つずつ」
「何でおれもだ! 要らねェよ! おい、いい加減行くぞアホコック!」
「……いくらだ」
「おい!」
「お一つ、二〇〇万ベリーですぜ、セットで四〇〇万ベリー、これはお目が高い旦那のための大ご奉仕価格! ぜひセットで!」
「に、にひゃくまん…?! はぁ? 高すぎだろ!」
「わかりました。今なら二つセットで三五〇万ベリー! 出血価格! こんな価格じゃもう手に入りませんぜ?」
「くっ……高ェ、も、もう一声」
「おい……」
「いやー、なかなか旦那も手強いですな、うーん、じゃ三四〇万で!」
「うう……いやしかし、そんな大金ナミさんに怒られちまう、くぅぅぅぅぅぅ」
眉間の渦を歪めさせながら真剣に頭を悩ますサンジに、ゾロは反論も無駄と踏んで後方で成り行きを見守ることにした。
「せめて……ふたつで二〇〇万…」
「三二〇万! これでどうです!」
「……わかった……オヤジ、ここは苦渋の決断だ……さすがにその金額は出せねェ、仕方ねェ、一つだけ、くれ」
「買うのかよ!」
「おっと残念、しかし旦那、一つでも充分楽しめる事請け合いですぜ! で、どっちを?」
「う……」
「おいおいおい、今度は何悩んでやがる、まさか」
「………う、うけ、の、ほうを、…くれ」
「おーーーーーーーーーーい!」
「かしこまりやしたぁ! 受けの方、一つでよろしいんですね! じゃあもう特別に、一六〇万ベリーにしときまさあ!」
「お、おお、そりゃありがてェ!」
「待て待て待て! クソコックてめ、そもそも買ってどうすんだンなもん!」
ぐいぐいとゾロはサンジの耳を引っ張って、何がなんでも阻止せんと強い意志を見せた。
「いや、だってよ、試してみてェじゃねェか、その…てめェが一体、どんな風におれのブツでイってんのかよ、体験できるなんざ刺激的すぎる道具だぜこりゃ」
「おいエロコック」
ゾロは殊更静かに、言い聞かせるように言った。
「それを、いつ何処で使うつもりだ」
「へ?…そりゃ、ま、一人になれるとこで、倉庫とか……へグッ」
首根っこをゾロに掴まれ、サンジは馬鹿力によってゾロを見下ろすほど高く持ち上げられた。
「そんなもんが必要か、生のおれが居るってのに」
青い目を白黒させていたサンジの焦点がふと止まった。
「ぇ」
「しかもよりによってそっちか、絶対ェ許さねェ」
「うぐ」
突如、腕を外されて投げ捨てられたサンジはゲホゲホと咳き込みながらゾロを見上げた。怒気を含んだ眼差しがサンジを鋭く突き刺している。さすがにこれはおれが悪い。即座にそう思ってサンジはすっくと立ち上がった、
「いや……悪かった、ゾロ…つい好奇心に負けちまって……生のてめェがいいのは、当たり前だ」
「わかりゃいい」
サンジは、パタパタとスーツをはたいて商人の方に再び向き直り、咳払いをひとつしてから改まったように申し出た。
「すまん、オヤジ……やんごとなき理由で、やっぱりこれは買えねェ……全くもって、心底、残念無念、悲痛の極みだが」
「未練たらたらじゃねェか」
「おや、そうですか。そりゃあこちらも残念ですなあ。これは今日、貴重な先行発売だったんですがねえ。じゃあここは店じまいして移動するんで、ご機嫌よう旦那」
そう言うが早いが、テキパキと商人は店のテントを片付け始めた。
「異様に店じまいが早いな」
「くうう……画期的な、蓄、淫、池が…あああああ」
「しつけェぞ! おら、行くぞアホコック」

「あら?」
船の航海士がニュースクーが運んできたばかりの新聞を眺めて言った。
「これ、昨日降りたあの島よねえ。なんか、指名手配されてる大詐欺師が島でついに捕まったんですって」
「何、ナミさん? 昨日の島?」
「うん、こんな顔の奴みたい。あたしは見かけなかったけど島のどこかにいたのかしら」
そう言って見せられた記事の犯人の顔写真を見るや、サンジは蒼白になった。
「こ、コイツ……! あの店の、あの……あ…」
「あらサンジくん、この詐欺師知ってるの?」
「え? いや、いやいや、そんな野郎は、見たことも聞いたこともねェよ! はは、はははは…」
「なんの話だ?」
「てめェは失せろクソマリモ!」
新聞記事には、『世紀の大詐欺師捕まる! 怪しげな蓄電池に似た装置を騙して売った儲けはなんと一億ベリー』とあった。


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