その花を見つけたのは、偶然だった。
これはきっと我らが一味の麗しき考古学者が、ひっそりと屋上の花壇の隅に植えていたに違いない。そう思って尋ねてみると、「いいえ、知らないわ」と明瞭な答えが返ってきた。彼女が知らないなら、これはきっと掌に舞い降りて来た天使の羽だ。そう決めたおれは、密かにその花の一輪を摘み取った。
「酒、追加ねえか」
くァ……と大欠伸をかましながら、剣士がキッチンの扉を開けてやって来たのは、夜も深まった夜半前のこと。
「あのな、ここは自動販売機でもドリンクスタンドでもねえんだ。注文すりゃすぐ出てくると思ったら」
「すぐ出てくるだろ」
被りがちに即答され、う、と言葉に詰まった。
その通り、酒どころかツマミのセッティングも既にしてあるのが、我ながら奇妙だ。悪びれず出された料理を素直に口にするコイツの様子を見守るのも、愉しみの一つになって久しい。
テーブルに出されたグラスになみなみと酒を注いだゾロは、少し持ち上げて薄オレンジのランプの光にそれをかざした。ランプの光は、暫し無言の時間を曖昧に揺らす。そうして、ゆっくりと口元に注がれた透明の液体は、唇の端からほんの少し溢れながらゾロの喉を通過して、喉仏を二度、三度と滑らかに上下させた。
「なんだ」
うっかり見惚れていた、とはとても言えない。
「いや、別に」
誤魔化す手段も思いつかず、無意味に流し台の前をウロウロと彷徨ってしまった。こんな事をしてる場合じゃねェ。そうこうするうちに、ゾロは三杯目をグラスに注いでいる所だった。
「おっ…と、ちょい待て」
「あ?」
グラスを持つ筋の浮いた剣士の腕を取る。そのままゆっくりと、零さぬようにテーブルに。
「……何だ、飲ませろ」
「まあ待てって」
不思議そうに眉を寄せているマリモを背中に感じつつ、シンク台の引き出しから一輪の白薔薇をそっと取り出した。幾重かに重なる白い花弁は、ふいに姿を晒され小さく震えながら耐えている。その細い枝を摘む己の指先も、同じように震えているのは見なかった事にする。
グラスの縁一杯に注がれたままの液体に、その可憐な一輪を挿し入れると、静かに見つめていたゾロの右眼が大きく見開かれた。
「……飲めねェ」
「アルバ セミプレナ」
「あ?……」
「……って、花だ。ヴィーナスの誕生って絵にも描かれてる、アルバローズって品種の白薔薇だよ。仄かで上品な香りがまた、ピッタリじゃねェか?この酒に」
「……酔狂だな」
フ、と笑みを溢すと、ゾロはグラスから花をスッと抜き取り、目を閉じて花弁に鼻を寄せた。その意外な仕草に思わず目を奪われてしまった。悔しいが絵になる。それも、極上に。
その香りにすら嫉妬するほどに。
それは墓場まで持っていく感情だと決めている。それでいい。捧げた花を手に取るコイツを拝められるだけで、おれはもう人生の運を使い果たしたっていい。
再び手にしたグラスの中身を飲み干した
ゾロは、口元を手の甲でグイと拭うと「なるほど、悪くねェ」
と弾けたように笑った。
なんて笑顔だ。これでもう、おれの望みは半分叶った。今日という日に思い残す事はない。そう噛み締めていると、ゾロは徐ろに懐からそのゴツい指で何かをつまみ出し、テーブルに乗せた。白い花。可憐な、一輪の、白い…薔薇。
「花壇で見つけた。名前はロビンに聞いた」
「な……?!」
「なんだか知らねェが、今夜この花を持って行くといいってな。けどてめェも同じのを持って来てやがるなんて聞いてねェが」
「お前……今日、何の日だか知らねェでそれを……」
おれはついに頭を抱えて突っ伏した。これだから野生はイヤだ。同じカードを切ったというのにこの敗北感は何なんだ。
「あァ?何の日だ?」
「それはな……その白い彼女によく聞いてくれ」
「女かこれは」
「知らねーよ!とにかくな、てめェはよくよくおれに勝負を挑みてェらしいな!」
「何の勝負だ」
「ああ、教えてやる。今日はな、世間じゃ恋人に花を贈るバレンタインデーってやつだ!てめェ、それも知らずにわざわざ今日って日によりによっ……て、………………」
喚きながらおれは、どうもとんでもない発言をしちまった事にようやく気づいて、続きの言葉を飲み込んだ。
目の前のマリモはというと。
マリモはというと。
真っ赤に染まった首筋の色が、徐々に頬に昇っていく所だった。
おれの挿した白い天使に聞くべきか。
なあ、この後どうすりゃいいの?
END