恋という名の絶望 (R18)

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それは、ただの処理だった。
お互いに合意の上で、それ以上のことは望んでいなかった。

何かを欲しいと思った事はある。でもひとりの人間が対象だったことはない。

それなのに。

満たされない。
渇きは、ひどくなる一方だ。

⭐︎
仲間に言えない隠し事を持つようになったのは、数ヶ月ほど前からだ。

隠れ家みたいなその場所は、食品庫だ。大の男がふたり入れば、寝転がるのはおろか地べたに座るだけで床が見えないほど手狭なその場所が、いつもの秘事にふける場所だった。
どちらから誘ったかといえば、それはおれだ。いい加減溜まっていたことと、手頃な相手がゾロしかいない事は事実だった。どうせ普段からいがみ合ってる関係だ、たいした会話もしないのだから多少の後ろめたい行為でも、日常に影響はないだろう、そんな思惑もあった。ダメ元で誘ってみて断られれば、タマの小せェチェリーボーイめと煽る準備も出来ていた。それならそれで、一人で処理するまでだ。そうだ。それだけの理由だ。
「ひとりでヤるのも飽きたし、ちっと付き合わねェか?刺激ってモンもたまには必要だと思うぜ?」
悪いようにはしねェからよ、と、一方的に言ってみると、ゾロは暫く無言でいた後に
「あァ、いいぜ」
と宣ったのだ。
正直言って驚いた。誘ったとはいえ、この堅物剣士に人間の三大欲が全て備わっているとは。すぐに道の方角を失うのと同じ、生まれつきこの男には性欲というものが欠けているに違いないと、勝手にサンジは思い込んでいた。それはそうだろう。どんな美女にも眉一つ動かさない野郎だ。かといってムッツリかというとそんな片鱗さえも見つからない。平時は寝てるか鉄団子を振り回し、たまに釣りや渋々片付けを手伝うのが関の山。
一体どこにそんなモノを隠していやがった…?

最初は、半信半疑だった。コイツは今から何をするのか分かってんのか?無言のままついてくるゾロを食品庫に誘い入れ、徐に股ぐらを掴んでみる。ビク、と一瞬驚いた風のゾロをわざと煽るように
「なあ、分かってんのかよ?今からする事」
と服の生地ごと形を確かめるように手のひらを滑らせてみた。ゾロはおれを睨んだまま
「知ってら」
と呟いた。知ってるのか。この朴念仁が。一体いつ、どこで知ったのか?
「ふ……てめェも人の子だったか。てっきり用を足す以外触った事もねェのかと」
「んなわけあるか、阿保」
「へえ、じゃあ話は早ェな。…って、おい、もう…」
握り込んでいたゾロのモノが、手のひらの中でみるみる大きく膨らんできたのにサンジは驚きを隠せない。
ふ、と小さく息を吐いたゾロは、サンジにのしかかるように上半身を預け、その手をサンジのものに伸ばしてきた。
「てめェだってこんなんじゃねェか」
「ッ……」
やや乱暴に掴んだゾロの左手が、揉みしだくような動きを始めた。互いに相手のものを手中に収め、その動きも強弱も相手次第。弱点をもろに委ねる状態で身体が重なった。指の動きが的確に佳い所を攻めてくるのが、ゾロが決して自慰に不慣れな訳ではない証拠である事に、サンジは知らぬうちに興奮を覚えた。
これは、おれしか知らないゾロ…か?そうなのか?
握り込んだ手の上下の動きが、互いに、次第に速くなる。その動きに合わせて肩口に注がれる熱い呼吸が、無言のまま狭い空間に満ちてきた。熱い。ゾロの胸が、荒い息を吐く度にサンジの胸を叩いた。く、と小さな呻きが耳を掠めたのと同時に、手のひらに熱いものが迸る。己のものを握る剣士の手のひらにも、欲望の液体がドロリと吐かれた。
互いの肩に顎を預け、乱れた息を整えながら余韻に浸る。
誘いを断らなかった。揶揄いもせず抵抗もせずに付いてきた。それどころか、思いがけず、佳い所を知り尽くしたかのような手つき。意外なことの連続パンチだ。これは想像していたよりずっと……そこまで考えて、己の想像のゆく先に急ブレーキをかける。まずい。沈黙しているとこれはまずい。慌てて口を開く。
「へ……ッ…おれの、勝ちィ」
「なに…がだ」
「てめェの方が早かったろ」
粘着く指をわざと広げて、ゾロの目の前で舐めとって見せる。すると目の前の剣士の顔は、燃え広がる火のようにみるみる耳まで赤く染まった。
え。何だそれ。
「……悪ィ、のかよ」
苦しげにそう吐き出したゾロが、何故だか、そう何故だか分からないが…とてもいじらしく。
おれはその時初めて、この一味の戦闘員である、野獣とも呼ばれた剣士の『中身』を垣間見たと思った。
そしてさらに不埒にも、
それを見た奴がおれだけでありますように。
そんなことをそっと願ってしまった。

初めてのあの行為の日から、サンジは今まで経験したことのない背徳感を持て余していた。
相変わらず、昼間はどこかで寝腐っているか、甲板で鍛錬とやらに励んでいるマリモ剣士を横目に反芻する。どんなに目をこらしても、あの時見たゾロの中身というものは、どこにも見つけることが出来ないのだ。まさかあんな。あんな風に動く指が、あんな風に吐く息が、あいつのどこかに頑なに隠されていたなんて事を。それを思うと、どうにも居た堪れず煙草の本数が増えていく。
一度きりの戯れでも良かった。
だけど、もう一度確かめてみたい。誰も見たことのないあいつの中身を見てみたい。もしかすると、もっとおれの知らないあいつが奥底に潜んでいるのかもしれない。そんな得体の知れない思いに無性に駆られた。
再びの誘いに、またもゾロは断らなかった。

「う………ッ」
「ッ……く…おま…ちょ、待て」
「待つかよ」
互いを先にいかせようと追い上げる指。相変わらず佳い所を突いてくるコイツが忌々しい。こんな時にも負けず嫌いがつい首をもたげてしまう。
「ふ……ぅッ」
甘く搾り上げる指の動きに反応したゾロの声が、耳元で漏れた。
湿った吐息に、この男特有の臭いが充満している。肌と肌の間には、互いの服が挟まっているはずなのに、汗に濡れ直に擦れ合わせられた感覚がひどく熱い。ただ、そんなことに狼狽える余裕もない。もっと生々しく擦り合う感覚が、全身を支配しているからだった。ゾロのモノと自身のモノがいま、キツく密着しながら互いのいかがわしい液体に塗れ上下への動きを繰り返している。何度も重なる括れ、裏筋から痺れるような快感が立ちのぼるのに抗えない。そしてもっと抗えないものは、
擦り合わせるこのおれの手の中に、ゾロの快感も確かに握っているという実感だ。
固く猛ったモノを完全におれに委ねているゾロが背中を掴む。鋭い痛み、食いしばる歯の間からしきりに漏れる息、それは鍛錬の時の呼吸とはまるで違う。漏らすまいとするほど強く、鋭く吐き出されるそれが、行為を重ねる度に、厳重に隠されていたこの男の何かを暴こうとしていた。
密に接したふたつの肉棒が、同時に震え精を吐く。
秘め事が終わったあとゾロはいつも、無言で拭き取り衣服を整えるといつもおれより先にあっさりと出て行く。その後ろ姿を見送ると、煙草を一本ふかすのが慣習のようになっていた。それがなんだ?そのタバコが最近は旨くない。ゾロの背中が、まるで後ろ髪を引くように。
やっぱりどうにも、これはまずい。

麗しのレディたちへデザートを差し上げたあと、空いたグラスを持ってキッチンへ向かう道すがら。たまたま鍛錬を終え階段を登ってきた筋肉マリモが通りがかり、ふと汗に濡れた指がおれの指に当たった。ふいに電流が走るような感覚を覚え、つい振り返ってしまった。すると同じように振り向いたゾロと目が合った。上気した顔は目の端がほの紅い。それは今しがた鍛錬を終えたばかりだからだ、そんなことは頭では分かっている。なのに何か内側から軋むように沸き起こるものがあった。その一瞬の得体の知れないものを無理やりねじ伏せ、努めて冷静に言ってみた。
「何だよ……ヤるか?今夜も」
少し目を見開いたゾロは、次の瞬間に言った。
「いや、ヤらねェ」
「ふぅん…?ま、てめェがいいなら」
あっさりと踵を返すゾロの背中を見つめる。
てめェがいいなら?行為の是非をおれはゾロの返答に委ねてしまった。卑怯な返しだ。
アイツとは、そもそも、お互い欲を処理してるだけだったろ?おれはどうかしてる。落胆を隠せないのは…
いや、落胆だと?

おれはどうしちまったんだ。

 

⭐︎

「どーこ行っちまったんだァ?ったくあの野郎」
島に上陸してまだ数日だと言うのに、マリモの奴がまた行方不明になってしまった。これはもう恒例の流れだから、おれは愛しの航海士や考古学者からお願いされるのを待たずに、自ら迷子の確保を買って出た。たまにはアイツにこの労苦を労ってもらってもいいだろう。見つかったら今度こそ覚えとけ。とにかく、行きそうな場所の目星はついてる。
店の開戸を開けると、ガランガランと鳴る音と同時に店の奥から「へい、いらっしゃい」と店主が呼びかけてきた。中はそう広くはない、場末の酒場だ。とりあえずカウンターに近寄り、それらしい剣士がいないか見渡してみる。
「ここにはいねェか……」
「兄ちゃん、珍しい身なりしてんねェ、旅行者かい?」
カウンターからマスターが声をかけてきた。
「あー、まあ、そんなとこだ」
「どうだい一杯。これなんか、この島じゃポピュラーな酒だよ」
「いや、おれはもう」
「なんだい、いいじゃねェか、まあ味見して行けよ」
マリモのいない酒場に用はなかったが、店主の圧が相当に暑苦しく、一杯だけひっかけておくか、というつもりで座った。ついでだ。聞いておくか。
「なあマスター、この店に最近、緑頭の剣士が立ち寄らなかったかい?」
「緑頭の?……ああ、もしかしてあの、海賊狩りのことかい!」
「知ってんのか?」
「そりゃあもう!ここ数日、この辺りじゃその話で持ちきりだぜ、いやあまさかあんなクソゴミ野郎があの有名な海賊狩りのロロノア・ゾロだなんてなあ、ってよ!」
クソゴミ?
「おい……聞き捨てならねェ。今なんつった」
「へ?いやだから、クソゴミ野郎だよ!この街はわりあいに平和を保ってる穏やかな街だったのによ、あの野郎のせいで最近人出が減っちまった。商売にも影響してんだ、ったく何やってんだ警察は」
堪えられずおれは店主の胸ぐらを掴んだ。
「どういうことだ、それは」
「お、おい、何だよお客さん……」
「アイツが何かやらかしたのか、って聞いてんだ」
「そ、そうだよ、やらかしたどころかもう、非道な限りだ。夜になると町をフラついて手当たり次第斬り捨てる。それもまず女どもが襲われて、その後子供、そして老人。弱い者ばかり狙うらしい。出会ったが最後身ぐるみ剥がされるか、女は大概凌辱されるらしいからな。酷い話だ。そんなだから今はみんな家に引きこもって震えてる。自警団も見回ってるが、まだ捕まってねェ。まったく、早く誰かひっ捕えて海軍にでも引き渡してもらわねェと、おちおち夜も歩けねェよ」
おれはしばらく絶句していた。
あまりにも、おれの知ってるゾロ像とかけ離れた行為だ。
「……なんてェ野郎だ」
腹わたが怒りのあまり沸騰するように熱い。
「だろう?許せねェクズ野郎だろ。海賊狩りを標榜してるんならよ、それ相当の賞金首を狩ってくれるんなら助かるのによ、なんってェ卑劣な野郎だったんだ、って巷じゃ落胆と怒りの噂ばっかりだ」
「…………」
「そんなこったからよ、兄ちゃんもせいぜい夜道には気をつけな。あ、でもアレは大の男には尻尾を巻いて逃げて行くって言うからなあ!情けねェ野郎だぜ、全くキモっ玉の小せェクズ」
ついにおれは、ダン!とカウンターを弾むほどの力を込めて叩いちまった。
「おい」
「あ?」
「それは、別人だ」
「へェ?」
「別人だ、つってんだ。ゾロってのはそんな奴じゃねェ!」
豆鉄砲を食らった鳩のような顔で驚いた店主は、しばらく呆然とおれの顔を眺めていたが、やがてわはははと笑い始めた。
「何だ兄ちゃん、まさか海賊狩りの知り合いかい?緑頭に隻眼に、刀を三本携えてる剣士が世の中そんなにいるとは思えねェけどなあ?」
「本当に、そんな野郎か」
「手配書が出回ってんだ、顔を知らねェもんはまずいねェだろうよ?有名人じゃねェか。……って、麦わらの一味もまさか上陸してるんじゃねェだろうな……?あんなクズ野郎の仲間が他にも」
ジロリ、と店主はおれの顔を品定めするように見やった。まずい。
カウンターに金を置くと、おれは立ち上がった。
「おれがなんとかする。とにかくマスター、そのクソ野郎はゾロじゃねェ。ニセモンだ、周りの客にもそう言っとけ!」

⭐︎

外は既に陽が落ちて、とっぷりと夜の闇が広がっていた。海風がどこからか香ってくる。風光明媚なこの港町を、夜風に吹かれながら散歩でもすれば気持ちが良いに違いない。
だが、ゾロの風貌をしたクソゴミ野郎が、そんな気分を台無しにしやがった。加えて、本人の評判
すら地に落とすようなマネをする野郎がいるとは。許せねェ。
咥えていたタバコを強く噛み締める。
と、その時、前方の道から数人が息を切らせて走って来た。
「た、助けてーー!!誰か!」
その声は、レディ達!
「どうしたんですお嬢さん達」
「あ、あの、今さっき見たの!隻眼の剣士が、あ、あっちに……!」
「きっと海賊狩りのゾロよ!刀も三本持っていたの!追ってきたらどうしよう、私たち…」
「待ってレディ達、大丈夫。あそこの店に入って隠れてて。おれが捕らえるから」
「え……?」
「早く!」
「わ、分かりました、ありがとうございます!さ、お姉さん早く」
「ありがとうございます、どうかお気をつけて!」

⭐︎

磯に近い岩陰に、その男が立っていた。
遠目からは、刀のシルエット以外にゾロだという判別がつかない。しかし、刀を確かに三本腰に刺し、二本を抜いて両手に持ちこちらを向いているようだ。
クソ野郎……待ってろよ。
そろそろと気づかれないように岩の反対側へと回る。海側へ追いやれれば、町へ逃走される恐れはなくなる。絶対に逃がさねェぜ。
岩陰へ足をかけようとしたその時。
ザザ…ザザ…と、突然の雨が落ち始めた。
この島の辺りは、海流のせいで天候が変わりやすい。航海士のセリフが今頃になって脳内に響き出した。しまった、この暗闇でさらに雨かよ。
雨足は、次第に強くなってゆく。足元の海藻が湿りぬるついてきた。滑らぬように慎重に岩に足をかけ、そろそろと渡りながら反対側へと辿り着いた。ちょうどその時、近くの灯台の火が立っている男の顔を照らした。
息を呑んだ。
それは、ゾロだった。
しかし正確には、ゾロ、のようなもの、だった。
ゾロの右手は、普段の三分のニほどの細さに見えた。そしてその腕は濃い体毛が張り付き、浅黒い。
「ゾロ…………?」
その男は、真っ直ぐにこちらに向き直った。
隻眼の男。確かにそうだ。見覚えのある緑の藻頭。三つのピアス。信じたくはないが、ゾロにしか見えない。ただそれは左半身の話だ。
右半身は、どう見てもゾロではない。妙に痩せ細っている。
まさか。さらに近づこうとして岩肌に足をかける。
しかし視界が濡れそぼった髪から止めどなく瞼に流れ落ちる雨の御簾に遮られる。くそ、見えねェ、そこにいるんだよな?
叩きつけるような驟雨の幕のむこうに、緑の髪がわずかに覗くのを見逃すまいと、必死で瞬きを繰り返した。
「動くんじゃねェぞ!いまそっちへ行く」

びしょ濡れのまま、でも確かにそこにゾロが佇んでいた。
ゾロとおれの間を隔てるものは何もない。ただ滝のように打ちつけるこの分厚い雨のほかには。
「てめェ……ゾロ…だよな?けどどうしたその右側はよ……」
「コックか?」
「決まってんだろうが。見えねェのかよ」
「ああ、見えねェ」
「何だって?」
「見えねェんだ、おれの左眼は今」
だってお前右眼、と言おうとしておれはハッと気付いた。
奴の右眼は、ヤツのものじゃねェ。あの涼しげにギラつく、鋭い眼光がそこにはねェ。
「どうしたお前、まさかその右側は」
「ああ、誰か知らねェ野郎の右半身だ。ここにあるのはおれの左半身だけだ」
「なんだって……そんじゃ、その右側の持ち主の野郎は今どこにいるんだ」
「知らねェが、どうやらおれの刀で狼藉を働いてやがるみてェだな」
「何……」
「おれの右眼が、ソイツの下劣な狼藉をずっと見てるもんでな。斬りに行こうとしたがどうしてもソイツのいる所に辿り着かねェんだ」
「……な……」
混乱していた。しかしボンヤリとしちゃいられねェ。こうしてる間にも、そいつはまた許し難い行いを好き放題やろうとしてやがるに違いない。
「おいマリモ!てめェ、一緒に来い。その右眼で、どこにいるのか説明しろ。クソゴミ野郎をミンチにしなきゃ気が済まねェ」

⭐︎

レディの甲高い悲鳴が聞こえた方角へと、おれとゾロは急いだ。
「あっちだ、急げマリモ!」
「待て、クソコック、コイツ、……ゼェゼェ」
「おっせェな!……あ、そうか、まさかその右足もソイツの……」
「ゼェゼェ……そうだよ!ったく、走るの遅ェんだこの野郎は……」
「なるほど右半身だからか……うん?」
ふと、ある疑問が浮かびかけた。が、本能がいまはそれどころじゃねェと打ち消してくれた。とにかく、そんな事になった原因も後で問い詰めなくてはならない。
果たして、人家の途切れた暗がりの道に、レディとその子どもと見られる数人がこちらへ走ってきた。
「た、助けてーー!海賊狩りのゾロだあーーー!」
「チッ、その名前で呼ぶな!」
「え?キャ、キャアーーー!こっちにも海賊狩りがーー!」
現れた男は、確かに隻眼の剣士だ。コイツはたまたま隻眼だったせいでややこしい事になっちまったのか。見れば、左耳のピアスもなく、隻眼はほんの少しこめかみに切れ目が入っているだけだ。しかし、確かに右半身はゾロのそれだ。その刀捌きまでも己の技かのように扱ってやがったのか。腹立たしい。
「な、なんだてめェらは。お、おれは海賊狩りのゾロだぞ!どかねェと、き、斬っちまうぞ?」
「は」
足震えてんじゃねェか。ダメだコイツは。
「なあマリモ」
「あ?」
「てめェ、ちょっとそのレディ達と下がってろ。おれがやる」
「んだと?おれの名を語って好き放題しやがった野郎だぞ」
「分かってる。だからだ」
腹の底が燃えてくる。
「おれにやらせろ。何重にも許せねェ」
「……好きにしろ」
ネクタイを緩め、タバコに火を点けると、おれはゾロを語ったクソ野郎の前に一歩、進み出た。
「覚悟はできてんだろうなァ?エセ海賊狩りさんよ」
「ななな、なんだてめェ、寄るな!寄ると、き、き」
「てめェの罪は三つある」
「な?」
「一つ。町の人達に耐え難い傷や不安を負わせた事。一つ、別人の剣士の名を語り、こいつの名誉を汚した事。そしてもう一つは」
さらに一歩、足を進める。
「おれの心に火を点けた事だ」

⭐︎
「……で、このヘンテコな能力者は、ぶつかった場所が交換されちまうと」
「そうらしい」
「マリモが通りすがりにコイツにぶつかって、右半身だけ入れ替わった挙句、コイツに利用されまくったって訳か」
「そうみてェだ」
ズタボロになった男を踏みつけつつ、二本目のタバコに火を点ける。ゾロの半身は、コイツが気を失った瞬間に戻ったようだ。右手に握られたままの刀を熱心に確認するゾロを眺めながら、深く煙を吸い込んだ。
なんでおれは本人以上に腹を立てているのやら。
それにしても胸糞が悪い。クソマリモの名を語るだけじゃなく、その右半身を自由に使いやがったことに全身の細胞が沸騰するほど、恐ろしくおれは憤っていた。自分でもおかしいほどにだ。ロロノア・ゾロの精神、身体、そのどちらも、何人にも、汚すことは許さねェ。それを思うと震えるほどの得体の知れない何かが、腹の底に湧いてくる。マグマのように熱いそれは、下手をすれば何か取り返しのつかないものを焼き尽くしかねない。おれは身震いした。
もうこれは、腹をくくるしかねェのか。
「おいマリモ……」
「刀の刃こぼれはねェようだ、抜いていたのは鬼鉄だけだな」
「おい!」
「何だ」
「お前、今まで野宿でもしてたのか?」
「そうだな。あんな状況で宿なんて泊まれねえだろが」
「来い、おれの泊まってる宿に行くぞ」
「ああ?」
「明日出航すんだよ。今夜しかねェ」
「何がだよ」
「いいから!早く来い」

⭐︎

「お前のせいでめちゃくちゃだ」
何故こうなった。始まりは、何だった?
おれたちは、欲を処理するだけで充分だった。それはお互いにそうだったはずだ。
「たいした戦闘でもねェのに、のぼせやがったのかよ、クソエロコックが」
「てめェ……どうしてくれんだコレ」
「どうして欲しいんだ」
上にのしかかっているのはおれの方だというのに、この男は悠然と推し倒されながら、不遜な笑みを寄越して来た。
「ヤりてェ」
「んなこた分かってる。で、どっちなんだって聞いてんだ」
おれは目を剥いた。まさかコイツがおれより先に腹を括っていたとは、よもや思わなかった。
「お前だけが、おれだけを、抱くなら…いいぜ」
「たりめェだろ、じゃ、抱かせてやる」
「へ?いやだから今」
「てめェだけじゃフェアじゃねェ。借りは作りたくねェ」
「借りって…んな事じゃねェだろうよ…」
「ゴタゴタうるせェな!んじゃてめェはやんのかやんねェのか」
「えっ、…いや……も勿論、てめェがいいなら」
「いいって言ってんだろ!」
「わっ、わかった!分かったよ!じゃあ遠慮はもうしねェ。…しっかし、んな怖え顔で言うことか」
「るせェ!」
「ばっ……あー、てめェはほんっっと、自覚がねェ!」
「何がだ」
ゾロの頬を両手でそっと挟む。さっきから、声色と裏腹の、その紅に染まった顔がおれを容赦なく奈落へたたき落とす事、全然コイツはわかってねェ。
「たまんねェって事だよ、その無自覚さ」

⭐︎

「ねェ、サンジくんとゾロ、遅くない?」
「もう出航準備できちまってるのになあ」
「今日出航って言ったよな?」
甲板から望遠鏡を覗いていたウソップが、海岸を指差して叫んだ。
「あ、いたいた、ふたりとも走ってきたぞ、おーーい、ゾロおーー!サンジィーーーー!早くしろおー!」
「ちょっとおー!早くしないと置いてくわよー!」

「てめェ、早くしろクソマリモ、ナミさんがお怒りじゃねェか!ゼェゼェ」
「どの口が言うんだアホコック、てめェのせいだろが、ギリまで粘りやがって。ゼェゼェ」

同じ船に乗る仲間だった。
その「仲間」という肩書きを上書きしたおれ達は、この先どんなものを背負って行くのか。

これは紛れもなく、恋をした海賊の話。

 

end

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