蓋し夜の果て

タグ: [7709 text]

虎の目の前で、扉が開いた。
虎は、扉を開けた主をじっと見つめた。一歩、前足を進めるか逡巡した。どうにも間合いを計りかねる。此処への道中、何度もぬかるみを踏みしめて来たせいか、濡れた体毛がまとわりつくせいか、足元が不安定だ。
目の前の男は、まだ動かない。

銀杏が散りばめられた並木沿いの突き当たりに、その店はあった。
「……そうか」
サンジは長い沈黙の後に一言だけそう言うと、店の奥へと消えた。電報を届けに来た少年は、そのそっけない応対に肩をすくめたものの、良い知らせではなさそうな空気を察してか、さっさと店を後にした。店の住み込みの弟子たちは慌ててサンジを追った。
「サンジさん……」
「悪い、ひとりにしてくれ」
サンジはテーブルに力なく電報を投げ出すと、胸ポケットから一本、タバコを取り出して、長い間それを見つめていた。
火も点けず。

『ダイケンゴウ シス』

此処はどこだ。
ゾロは体を埋め尽くす落ち葉や枝を払いのけて、穴倉から這い出たモグラのようにあたりをキョロキョロと見回した。見渡す限り、枯葉だ。
むう、と立ち上がって、ふと思い出し、腰に手をやり刀の存在を確かめる。ない。
それどころか、その手触りに唖然とした。
「な…んだこれァ」
二本の足で立ち上がったと思ったのは、誤りだった。己は四本足で大地を踏んでいた。毛並みが深い。見ると大きな鋭い足の爪が、長めの体毛で覆われている。まさか。傍に流れる川のほとりに駆け寄って覗き込めば、
そこには虎がいた。
おれは……虎か?
至って素直にゾロは思った。
そうか。虎か。おれは今、虎なのか。
それならまあ仕方ねェ。戦闘中の突風でうっかり崖下に落ちちまったわりには命拾いしたって事か。全く災難は畳みかけてくるもんだ。たとえ人間だろうが虎だろうが、おれには違いねェ。おれである限り、やる事はひとつだ。
とりあえず、帰らねェとな。
二人分用意してある飯が無駄になりゃ、烈火の如く怒る野郎だ。

「サンジさん、今日も出て来ねえな」
「もう丸三日だ」
「三日も店を閉めるなんて初めてだよな」
「お前、ちょっと様子見てこいよ」
「なんでおれが」
「あまりにも静かだしよ、まさか……」
「おいおい、縁起でもねえ事言うなよ!じゃ、お前も一緒に来い」
サンジの住む離れの、小さな枝折戸を通り抜けた弟子たちが、恐る恐る扉のノッカーに手をかけた。扉はほどよくアンティーク風に装飾の剥げた、鮮やかな青い色をしている。ここに住む店長の瞳の色によく似ていると、弟子たちはいつも思っていた。そして象牙色の木の外壁には、ブリキでできたポストが埋め込まれている。そこには、三日分の新聞が、狭苦しそうに詰め込まれていた。
「おい……行くぞ」
「お、おう」
ノッカーに手をかけた弟子は、コツ、コツ、と二回、遠慮がちに扉を叩いてみた。
沈黙が通り過ぎてゆく。
も、もう一回いくぞ、と、もう一人の弟子が交代しようとしたその時。
「おお、お前ら!ちょっと入ってこい」
え、と顔を見合わせた隙間を縫って、再びサンジの呼び声がした。は、はい!と返事と同時に扉を開けて中に飛び込んでみれば、そこにはテーブルいっぱいに広げられた紙のレシピと、ペンと、そして、蒼い目をキラキラとさせたサンジがいた。
「サ、サンジさん……!これは……?」
「おー、ずっと書いてたらこんなになっちまった!悪いなお前ら。ちょっと見てくれねェか?これ、どれから試したらいいか」
「ええっ、これ、ずっとですか?もう三日ですよサンジさん!おれたちてっきり……」
そう言って、うっかり涙ぐんだ弟子を見て、サンジは慌てて言った。
「三日?そんなに経ってたか……そりゃ悪かったな……お前ら、店開けるぞ。この中のやつ片パシから作るぜ」
「サ、サンジさん、これ……」
海王類のステーキ。近海魚の煮付け、唐揚げ、生姜と豆腐の合せ照り焼き、鯛と貝柱のすまし汁、漬物と胡麻のオニギリ。エトセトラ。
ここに同居していた、ある剣豪の好物ばかりだ。
満面の笑みを湛えながら、レシピを吟味するサンジ。
半分開け放たれた扉に、潮風がふわりと息を吹きかけていった。

何日経ったのか。
慣れない四肢で切り立った崖を登ろうとしたが、九十度を超えるありえない角度に聳え立つ峡谷の岩肌に、ゾロの挑戦は何度も阻まれた。刀がありゃあ。しかし刀は辺りに一本たりとも見当たらない。仕方なく、峡谷を遠回りして抜ける道をゾロは進もうと決めた。そのうち刀も見つかるだろう。何しろ今は獣だ。片時も離さず携えてきた三本の忠臣の臭いはきっとわかる筈だ、と妙な確信があった。
とにかく進もう。道がないなら作りゃいい。
ザクザクと落ち葉を掻き分けて、右脚、左脚と順に前に進める。ときおり、周りのリスやムクドリが驚いて駆け出し、飛び立って道を開ける。
「おい誰か、おれの刀を知らねェか?」
落ちてから初めて声に出して言葉を言った。だがなんと己の耳に聞こえてきたのは、聞き慣れた自分の声ではなく、獣の唸り声だった。そうだ、自分は虎なのだ。この肉を裂いて噛み砕くための大きな顎から発するのが人語のはずはなかった。けれど思考は今までどおりの人間の言葉なのだが。
唸り声を不吉な警報と取った小さな獣たちが、クモの子を散らすように逃げ去る足音が響く。虎という姿は、それだけで食物連鎖の頂点という特権を握っているのか。闘わずして不戦勝を稼いでいるなぞ、腹の据わりが頗る悪い。歩を進めるたびにゾロの不機嫌は増した。くそ、戦いてェ。もっとでけェ生き物はいねェのか。このままじゃ、腹が空いてくりゃあその辺の小動物を捕まえて食っちまう。

その時。視認できるギリギリの距離から、唸り声をものともせず、いや、敢えて真っ向から受け止めるかのように近づいてくるものがあった。ゆっくりとした足取り、黒いシルエット。その悠然とした歩みは、同じ四足歩行の獣だ。そしてだんだんと、鋭い眼光がまっすぐに自分に向けられているのが分かった。はっきりと見えてきたその姿はまさに虎そのものだった。そして黒地に白い縞の毛並み。
『黒い、虎……?』
その黒虎は、全身から殺気を漲らせ、数メートルを空けてゾロの行手に立ち塞がった。グルルル…と、極めて不穏な低い唸り声を紛れもなくゾロに向けている。
コイツは、ただすれ違う訳にはいかねェようだな。
刀はねェがそんな事はいい。やるなら相手になってやろうじゃねェか、ちょうど飢えて来たところだ。
全身の毛が総毛立ち、湧き立つ血流が怒涛のように流れ始める。バリ、と足元の枝を踏み折ると、それを合図に黒虎が飛びかかってきた。

「これは意外といけるな、うん。これも」
サンジがレシピを片端から作り始めて丸一日が過ぎていた。キッチンの窓は闇以外何も映さず、時おりフクロウの頼りなげな声が、遠く微かに響く。
「サンジ…さん……もう、そろそろ寝ませんか…?もうぶっ通しでオレ達」
「ん?ああ…そうだな、悪ィ、お前らはもう寝ないとな」
「いやいやサンジさんも!寝て!お願いだから寝てくださいよお〜、ぶっ倒れちまいますよお〜」
ヘロヘロになって食器の上に突っ伏した弟子ふたりをひょいと抱えて、サンジは彼らを寝床がある別棟の方へと運んだ。ひんやりとした真夜中の風が、足元の草を優しく撫でる。大きな月が街灯のように辺りを照らしていてとても明るい。満月のような明るさにサンジはふと空を仰いだ。けれどまだ待宵のころだ。
月は、生命を引き込む力があるーー
昔、どこかの年寄りから聞いた言葉がふいに頭に浮かんだ。いや、まだ満月じゃないさ。サンジは頭を振った。料理に没頭する事で欠けたものを埋めようとするなんざ、海の名コックの名が廃る。料理は、食べる相手のために、食べる相手の事を思え。
たとえ今そこに居なくても。
「明日はな…てめェが好きな、巨大マグロのタタキにするか」
半開きの枝折戸が、返事をするかのようにキィィ、と揺れた。

 


虎の血も赤いもんだな。
ゾロは唐突にそう思った。自分の片腹から滴り落ちてくる液体を、首を屈めて見つめる。数時間前の、出くわした黒虎との対峙。虎の姿で闘うのが初めてだというハンデもあったが、襲いかかる鋭い牙と爪を避けるのが精一杯だったのが心底情けない。敵は捕食するつもりではなく、明らかにおれを殺す気だった。つい距離感を見誤って飛び出した刹那に、腹に一撃を浴びてしまった。死線を背にした命のやりとりなぞなんども経験してきたというのに、虎の姿でやられる羽目になるとは。傷つけて満足したのか黒虎は去ったが、追うことも出来ずゾロは忸怩たる思いで乾いた土の上を引き摺るように歩いた。
辛うじて歩けはするが、左側の前脚、後ろ脚を進めるたびに激痛が走る。先ほどまで干からびた草原が広がっていたはずが、今は赤茶けた小石が大地一面に広がるばかりだ。地表からは時折、嘲笑うかのような赤い砂煙が行手を阻む。
水が欲しい。
どのくらい歩いたか。おもむろに後ろを振り返ると、歩いてきた道筋に沿って転々と赤黒い液体が線を引いている。臭いを辿れば容易に追って来れるか。まあその時はその時だ。とにかく今は、喉の渇きを何とかしねェと……そんな事で頭がいっぱいになる内に、またゾロはグルルル…と厳しい唸り声を発しているのを認めた。バサバサと慌てて飛び立つ羽音、纏う毛皮を風が荒く撫でさする。その度に乾いた砂嵐が吹き上がり視界を赤く染めた。詩情なんてものとは程遠い風景だ。
ああ、アイツならきっと、なんて色気も風情もねェ景色だと意味もない八つ当たりをして来そうだ。『おれはなぁ、てめェみてえなクソ無粋な筋肉剣士とこんなとこをデートする夢は見たことねェんだ。可愛子さんと二人なら、どんな荒野だって百花繚乱の花畑だってのに!……』アホコックの聞き飽きた台詞が次々と脳内をうごめく。
なんだ。おれはまだおれだ。いや、何があろうとおれだ。おれをヒトに引き戻す野郎がこの記憶に息づく限り。早くおれを戻しやがれ。腹も限界まで減って来た、くそ、あの店は何処だ。一体おれはいつまで……
その時。遠くで雷鳴が聞こえたと思ったとたん、突然大粒の雨が叩くように落ちてきた。雨足は急激に強くなり、ざあざあと降り注ぎ、征く先をかき消した。足元の赤茶けた土はみるみるうちにぬかるみ、白黒の毛皮を纏う脚を無遠慮に汚した。ずぶ濡れの身体から滴っていた血は雨水と混じり合い、赤い泥に染み込んで、いつしか足跡もろとも大地に溶けた。
真上から吹き下ろす雨風が眼玉に滲みる。
目を細めて見上げると、崖縁に見覚えのある獣道が見えた。岩肌にへばりつくように、ヒト一人がギリ通れるほどの幅の小道がジグザグを描いて地上に続いている。あれはよく、アイツの店から山菜採りに降りてきた道だ。そうだ、じゃああれを登ればーー

ガサリ。
その音に反射的にサンジは玄関の扉に走った。
ただの新聞配達かもしれない。いや、注文していた食材が予定より早く届いただけかもしれない。
しかしサンジは扉へと走った。
ギィ、と古ぼけた音をさせて青い扉を押し開ける。
そこには、虎がいた。
虎は、扉を開けた主をじっと見つめた。

虎は一歩、前足を進めるか逡巡した。どうにも間合いを計りかねる。此処への道中、何度もぬかるみを踏みしめて来たせいか、濡れた体毛がまとわりつくせいか、足元が不安定だ。
目の前に立ち尽くしたかつての同居人は、しばらく微動だにせず虎を見つめていた。この男の目に映る虎の姿は、一体どんな感情を呼び起こすだろう。追い返されるだろうか、はたまた凶悪な蹴りで叩き伏せられるか。虎は身構えた。するとふいに扉の色をした瞳が緩んだ。見慣れた料理人の手が伸びてきて頭をそっと撫でられ、思わず虎の軀が柔らかく震えた。
「腹、減ってんのか?」

 

サンジは虎を大きなソファの置かれた居間に連れて来た。正確には、虎がサンジの後を付いてきたのだが、拒むことなくゆっくりとサンジはソファの隣に虎を引き寄せた。大の男ふたりが座るといっぱいになってしまうソファに、男一人、虎一匹が寛ぐのはかなり無理がある。しかしサンジはソファの幅に余る虎の大きな頭を膝に導いて、どしりと座面に腰を沈めた。虎は、サンジの膝を枕にうつ伏せに伸びやかに横たわることになった。料理人の手が再び虎の頭をゆっくりと撫でる。
「美味かったろ?ん?…そうか美味かったか。てめェは幸運だぞ、こんなとこで海の名コックの料理をたらふく食えるなんてな」
虎は答えていないが、サンジは返事を勝手に代弁しながら話を続けた。
「お前が玄関に現れたのを見た時ゃァ、ちと驚いたよ。あいつが帰ってきたんじゃねェか、ってな」
ズシン、と虎の心臓が鳴った。
「あいつってのはまあ…ここに居た連れだ。出かけてったきり何日も帰ってこねェのはしょっちゅうだった。なんでって?アレは超ド級の方向音痴なんだ。しかも自覚がねェ!迷子探査機のおれが出動したのは一回や二回じゃねえぞ。ホンモノのマリモでも、転がしゃ坂の下に向かってくだろ?ところがだ、あの野郎は右も左も気分によって変わりやがる、宇宙の摂理ガン無視だぜ?ったく世話が焼けるでけェガキなんだアイツは」
内容とは裏腹にサンジは総じて愉快そうに話し続けた。好き放題に並べ立てるコックに、道ってのはおれの周りを回ってるもんだ、勝手に捕獲しに来るのはてめェじゃねえかと、ゾロは反論しようと口を開いてみたが、案の定出てくるのは唸り声ばかりだ。
「だろ?なあ、てめェもそう思うよな」
勝手に同意を創作すんな。しかしその反論もゾロの口からは人の言葉としては発せられなかった。
「それによ、アイツはデリカシーってもんがなさすぎる。身なりにも無頓着、刀の手入れの百分の一でも自分の服装に構ってみたらどうだ、って何回言ってみたかわからねェ。その度に『必要ねェ』だの『時間の無駄だ』だの挙句に『てめェの足りねェ頭ン中に服でも詰め込んどきゃ、せめてフワフワしなくていいんじゃねえのか』だの、言いたい放題だアイツはよ」
さっきから言いたい放題なのはてめェだろうがと喉まで出かかるのを堪える。どうせコイツには唸り声にしか聞こえないだろう。
「……ふぅ」
突如、サンジの怒涛の演説が止まった。静寂が押し寄せてくる。虎の頭を撫でる手も同じ姿勢のまま動きを止めた。手のひらの重みを頭に感じる。
伝わってくる熱は、誰のためのものか。
「……けどな、あの野郎は己の道に迷った事はねェんだ。昔っからそうだ。最初にバラティエで会った時からな。アイツの進む道はすでに決まってて、全てはそのための片道通行だった。アイツは…刀みてェな男だ。真っ直ぐで無駄なもんがねェ。刃に倒れる覚悟がいつだって出来てる野郎だ。己の道にあんな一途な野郎は見た事がなかった……」
サンジは宙を見ていた。ここではないどこかを見ていた。その何処かが、あの日の船の上なのだろう事は想像に難くない。共に19だったあの日の、クソ生意気な黒スーツの男。それがおれをそんな風に見ていたのだと、ゾロは今初めて知ったのだった。
「馬鹿だよな……ああ、おれは今でも馬鹿な奴だと思ってる。けどアイツには、おれに見えないモンが見えてる。おれの出来ねェ歩き方をする。それが妬ましくて、羨ましくてな、そんで」
サンジの手のひらが、するりと虎の頭を撫でた。
「眩しかったよ」
撫でた手の指はしばらく毛並みの間を踊っていたので、虎は頭を上げられなかった。初めて聞く言葉ばかりだ。どんな表情で吐いたのか見てみたかった。けれどそれは叶わなかった。サンジの指はするすると虎の首を滑り、腕ごと毛並みに埋もれてしまった。頭の重みがさらに増した。サンジは虎の頭を抱え込み、顔を頭に埋めて動かなくなった。
おい。
おい。ずりィぞ。
てめェばっかり一方的に喋りやがって。おれが反論できねェのをいいことに。
腹の座りが頗る悪い。悪いというよりこれはなんだ。大事な失くし物が分厚いガラスの向こうに見つかった時はこんな気分か。いや違う。最凶に強ェ敵が目の前で自刃した気分か。それとも違う。
ただ、後悔がとめどなく溢れてくる。腹の底が熱くなり始めたのを感じる。身じろぎしようと軀を揺らしてみた。するとそれも叶わなかった。熱いのは頭の上だ。小刻みに揺れているのも頭の上だ。サンジだ。
サンジが嗚咽しているのだ。
虎の頭を抱きしめたまま、声を殺し、何度も震える喉に嗚咽を飲み込んでいる。
虎はなすすべもなかった。
ここに辿り着いた時のように、濡れた虎の脚を拭いてくれたサンジのように、涙に濡れているだろう顔を拭いてやれれば。大きな爪をできるだけ立てずにその金色の頭を撫でてやれれば。生意気な笑みが戻るまでその白い頬を舐めてやれれば。だけど本当にしてやりたいのは、今ほんとうにしたいのはそんな事じゃない。この喉がもどかしい。この顎が恨めしい。この体が、獣のおれが、千切れるほど腹立たしくて仕方がない。お前に、大事なことを言わずにいた自分に今心底後悔している。
伝えなければならない言葉があった。どうしても。
虎になっちまった今では、もう遅い。
行き先を失った言葉が渦を巻き、暴風となって押し寄せる。人間だったおれを散り散りに、木っ端微塵にしようとして。

ふいに抱きしめられていた腕に力がこもった。弱々しい声が聞こえたのは気のせいか。

「……愛してた………………」

その刹那、めりめりと体の内側から音がしたかと思うと、縞模様の毛皮が剥がれ落ち、固く締まった筋肉を滑らかに包んだ皮膚が現れた。横たわる姿勢はそのままに、サンジに抱えられていた大きな頭はこんもりと緑のマリモ色をした人の頭へと変化した。支えのカタチが変わったためにサンジは思わず体勢を崩して叫んだ。
「お、おわーーーーー!な、なんだ?」
「……よう」
「……おま、え…………?」
口を半開きにしたまま呆けた顔でサンジはゾロを見つめた。ゾロは首を一通り回し、自分の両腕を回し、上肢、下肢を確認すると、うし、戻った、と言ってにやりと笑んだ。
「おま……なん…虎…ゾロ…え…」
「何言ってっかわかんねェぞ」
「虎…お前、だった、の?」
「そうみてェだな」
「あの知らせ…ダイケンゴウシス……」
「あ?何の話だ?それよりてめェな、さっきはよくもベラベラとくっちゃべってくれやがったな」
ウゴッ!、と声にもならない音を発してサンジはソファの背もたれにのけぞった。その顎を掴み、のしかかる。
「ぜんぶ、聞いて、た?」
「おう、虎は見た目だけだ」
「はは…………参ったな」
「参ったのはおれだ」
「へ?」
ゾロは金色の頭に手を差し込み、するりと頬の髪をよけると、その頬をペロリとひと舐めして言った。
「虎になって気づくようじゃな」
「何」
「惚れてる、てめェに」
サンジは大きく目を身開いてゾロを見た。その蒼い目がゆっくりと緩んでいくのをゾロは真っ直ぐに見つめた。おれの中に息づく蒼。眩しくて、まともに見ることも出来ずにいたおれへの報いだったのかもしれねェな。そう言ってみようとして躊躇った唇がふいに塞がれた。
「過去形は撤回」
「は」
おれを抱きしめる熱が急上昇中の男は、身じろぎするほど甘い台詞をふたたび吐いた。

 

 

 

end

 

error: