片翼を待つ -Waiting for the other wing-

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2024年に発行したコピー本です。原作軸の両翼。WCI篇については度々書いているように相当こじらせているので、こじらせ始めた当時に初めてSSらしきものを書き散らした時の草稿を元に作り直しました。


「ナミすわんは、おれが守る! いいな!」
「わかった、行けよ」

 確か、そんな会話だったと思う。
ドレスローザでの最後の会話だ。
 おれたち一味が別行動するとき、たいていはあのアホ眉毛とおれが別れて動くことになる。今回もしかりだった。間抜けな髭面で女どものケツを追っかけてばかりいるようなアホに船一団を任せるのはどうなのかと、よその奴なら問うだろう。それに対する答えはこうだ。「問題ねェ」
 確かにあいつはアホを極めているが、おれたちが別れて前に進もうとする時に片方を任せられる奴はあの野郎を置いて他にいないのだ。そのことだけは何故だか確信を持っていた。だからこそおれは、あいつの申し出をそっくりそのまま任せておけた。あいつがいれば、大丈夫なのだから。

 深い霧の合間から見えたのは、巨大なゾウの島だった。
 ゾウは、ゆっくりと海を歩いているらしくその度に大地がゆらりと揺れる。ゾウの皮膚の上に降り立ったおれ達一行は、先に向かっていたはずのぐる眉一味と合流すべく、不穏な森の奥へと向かって進んで行った。とにかくあいつらと合流して、一刻も早く飯が食いたかった。思えばしばらくの間、コックの飯を食っていないことに気づいて腹の虫がまた、鳴った。
 マユゲはまだ見当たらなかった。
 破壊の跡が続く不穏な街を抜けると、ミンク族とかいうしゃべる動物が現れた。先に着いている一味のところへ案内するという。そいつがナミの服を着ているというのでウソップが大騒ぎしたが、アイツがいるんだ、無事に決まっている。
 ようやくたどり着いたミンク族の砦からナミが元気よく飛び出してきた。みろ無駄な心配だったろとウソップにしたり顔で言ってやろうとした時だった。
「サンジくんが……!」
 予想外のことが起きた。それは敵襲の類のことではなかった。
 ぐる眉がいない。
 全くの不意打ちの事態を飲み込むのに苦労した。あいつがここにいない筈はない。あの野郎が、ナミやチョッパーを置いて危険にさらしっぱなしな訳はないだろう。おれは混乱していた。いや、戸惑っていたと言った方がいいかもしれない。当然ここにあるべきものが、ポッカリと抜けていたのだから。
 奴が残していったという手紙を読むと、見たことのある汚ェ字で、『女に会ってくる』などとカッコつけている。それを目にしてもまだその時は、勝手な行動取りやがってという呆れた気持ちしか持たなかった。大げさに手紙なんざ書いて、どうせさっさと敵を片づけてヘラヘラとすぐ戻ってくるに違いない。
 ところがナミの話が進み、シシリアンとかいう物騒な犬の話を聞くうちに、どうやらまたおれたちは厄介ごとを抱えた国に来ちまった事を知った。ぐる眉たちの献身のおかげだとミンク族は泣いて感謝していたが、まあそれもいつもの事だ。それくらいのことはあいつらなら当然やってのけることだろう。事情はなんとなく見えてきたが、話の中に消えたぐる眉がまだ出てこない。僅かに苛立ちが芽生える。

「サンジさんは、もしかしたらもう、私たちのもとに戻ってこないかもしれません……」
 これからミンク族のネコマムシとかいう奴に会いに行くワニの上で、ブルックがそう言い出した。ことさら深刻そうな面持ちをしている。
 二日前に起きた大事件とやらを一通り聞き終わり、奴が消えた顛末は知れた。あの男がいかにもやりそうな行動だった。それにナミたちをしっかり守ったことも合点がいく。おおかたくだらない敵に身内を脅されでもしたんだろう。あのアホが自分を切り離そうとするって事は、そういうことだ。頭ではそう理解できたが、浮かんだ苛立ちは消えるどころか、だんだんと己の腹の中で燃え広がって来るのを止めることができない。
 実家の事情が何なのかは知らねェが、今さらそんな事で後戻りしている場合じゃねえ。その事も苛立ちの理由の一つだが、もっと忌々しいのはおれ達が今まさに対峙する先にいる四皇を、たった一人でどうにかしようとしてやがる事だった。愚の骨頂だ。カッコつけるのも大概にしろ。もし、万が一、戻ってこないようなことがあったら。
 それは、あいつがそれまでの男だったってことだ。
 覚悟は常にある。おれたちはままごとで航海してるんじゃない、いつだって何かを失う恐れはあり、それが腕か命かやってみなけりゃわからない。それを恐れているなら海賊なんざやらずにとっくに船を降りている。おれも、皆も、そしてあの眉毛もだ。

 苛立ちに不安などこれっぽっちも混じってはいなかった。混じっていたのはただ、自分の身がこの一味にある意味を、あまりにも軽く考えているだろうあの野郎への怒りだった。
 帰って来ないなんてことがあるか?
 帰って「来れない」のでなく、帰って「来ない」。そんなことは絶対に許さねえ、このおれが。

「いいだろ別に」
 吐き捨てるように出たのはそんな言葉だった。
 これから先へ進むおれたちの足手まといでしかないなら帰ってこなくて構わない、四皇に喧嘩を吹っ掛けて何とかなると思っている花畑に用はねえ。しかし、もっと別の苛立ちが全身を覆っていた。抑えきれず声を荒げて怒鳴ったりしたのはいつぶりだろう? おれを理性から引き離すのはいつだって、あのアホマユゲなんだ。
「バカとしか言えねえよあのグルマユ野郎!」
 怒鳴ったところで、何もならない。バカなのはおれだってそうだ。ここにいない野郎のために、ここにいる奴らに苛立ちをぶつけてなんになる。

 ガーディアンズの居住区にあるネコマムシとかいう奴のアジトで、おれは血が上った頭をなんとか冷やそうと、ルフィたちが入っていったぺコムズの部屋には入らずに廊下をうろついていた。あの野郎の実家の事情なんざ知った事じゃない。聞くつもりもなかったが、開け放してある部屋の入口から漏れ聞こえてくる言葉に、思わず耳を澄ませてしまった。

「人殺しの一族——ヴィンスモーク一家のボスが黒足の親父なのさ」
「断ればそいつには『プレゼント』が届くことになる。中身はそいつに関わりのある――誰かの『首』だ!」

 予想していた通りの状況ではあった。全く、とんでもねえ『お荷物』を抱えていやがったものだ。おれたちに今まで一言も出自の話などしたことはないが、聞いてほしくはなかっただろう胸糞悪い話を耳にしておれはその時一つ、心に決めた。この話を聞いたことを、絶対に本人には言うまい、と。
 おそらくあいつは、自分の事は全て自分で始末をつけたいのだろう。おれたち仲間の誰一人にも、手を煩わせたりせずに。その結果がどうなろうと。
 不思議な感覚が襲っていた。あのいけ好かない男の思考が手に取るように流れ込んで来る。必ず戻るとナミたちに最後に伝えた笑顔まで、勝手に頭に浮かんでくる。キッチリと隙なく作り込んだ、飛び切りの勝負笑顔に決まっている。
 しばらくしてルフィが部屋から飛び出してきて、言った。
「サンジの事、心配なんだろー。シシシ」
「ケるぞてめェ」
 ふいに図星を突かれて、つい口から零れてしまった。取り繕うように急いで言葉を追加する。
「放っとけっつったろあんなバカ」

 行くのはルフィ、それがいいと思った。
 アホマユゲの思考がじわじわとおれを侵食してくる。己の出自をどうせ汚点だと思ってやがるあいつは、それが理由で引き起こした騒動を誰よりもおれには知られたくないに違いない。だからおれは何も聞いちゃいない、何も知らない。それを貫くべきだと思う。それがあいつの矜持への礼儀のはずだ。

 ゾウの真上の空に星々が煌めく頃。一人寝つけず、ただ、遠い波の音を仰向けに聴いていた。

 海鳴りが聞こえる。

 という事は海辺からここはそう遠くないはずだ。けれど目の前にあるのはゴツゴツとした岩の壁ばかり。時折、申し訳なさそうに生える緑の苔か草かの合間に足を掛け、次の足場を探す。進めど進めど、道らしき道は見つからないが前に進むしかない。荒れた道を進む事には慣れている。ただ、いま自分の足を進めているのは言葉にならない焦りだった。
 どれくらいの距離を進んだだろうか。
 嘲るように足場を遮る岩の群れをようやく越えたかに見えた時、細い谷間の向こうにぽっかりと空いた洞窟の入り口のようなものが見えた。行く先を阻むそれは、暗闇におれを誘い込むためにずっと前からそこにあるかのようだ。
「上等じゃねェか」
 躊躇なく谷を降り、暗闇の入り口に立った。中からひんやりと冷えた空気が鼻腔を揺らす。静寂の合間に、また時折海鳴りが聞こえた。
 
 暗がりを奥へ奥へと歩みを進める。灯がないのにぼんやりと足元が光っているのは苔だろうか。どこからかの光を反射しているのだが、どこへ進んでいるのか見当もつかない。
「静かだな……」
 刀の柄を握りしめつつ、辺りに目を凝らしてみると、どうも人工的に掘られたらしい形跡がある。壁に触れると削り跡のような規則的な凹みが続いていた。ここはまるで、洞窟に見せかけた大きな回廊のようになっている。するとこれは何処かに繋がっているのか。
 突如、ボンヤリとした人影が奥に浮かんで見えた。
「誰だ」
 和銅一文字をゆっくりと抜きつつ、警戒を最大限にして人影に近づいてゆく。人影はそこから動かない。
 薄明かりの中に浮かんで来たのは、女がひとり。
「この先へは行けないわ」
「何……なぜだ」
「貴方が誰だか分からないから」
 女は、怯える風でもなく、ごく落ち着いた様子である。
「てめェこそ誰だ、どうしてこんな所にいる?」
「その質問に答える前に、貴方が誰だか知りたいの。どうしてここに辿り着いてきたか。何を探しているのか」
「何だと? んなもんてめェの知った事じゃねェ、そこを通せ」
「随分と焦っているのね」
 ドキリとした。そうだ、おれは確かに焦っている。一刻も早く……何を? 誰をおれは?
「何故そう思う」
「もう剣を抜いているから。私は何も持っていないわ、ほら」
 女はそう言って両手を広げて見せた。
「おれのいく先を邪魔しているのには違ェねェな」
「確かにそうね。何故ならこの先へ行くのには人を選ぶの」
「何だって?……おい、この先に何がある」
「貴方が誰なのか次第よ。何を探しているの?」
 冷静だが、有無を言わさぬ様子で女は尋ねてくる。どうやら、この先にある何かに深く関係している奴のようだ。ここは素直に答えておく方がよさそうだった。
「ああ、探してる奴がいる。仲間をな」
「仲間?……貴方、海賊?」
「そうだ」
 女はそれを聞くと、腕を組んでじっとおれを見つめて来た。暫くの間だったが、かなり長い時間に感じられた。そのうち女は口を開いた。
「貴方が麦わら?」
 思いもかけない質問に驚いて一瞬、言葉が出なかった。
「ッ、なぜ船長の名を知ってる」
「あら……じゃあ貴方は麦わらの一味の一人なのね、そう……」
 そう言ってまた女は頭からつま先、刀の先までじっと値踏みするように見つめて来た。
「その通り、おれは麦わらの一味の剣士だ。さあ、てめェも答えろ。誰だてめェは? ここで何してる」
「……私はルージュ。ここを通る人を待っていたの」
「待っていた……?」
「ええ。私の弟がこの先に囚われているわ。私では助けられない。助けられる人を待っていたのよ」
「弟……?」
 胸騒ぎがした。黒く渦巻く、確信めいた予感が。
 女が一歩、前に進み出て来た。その時、ボンヤリとしていた灯が光る苔に近づいたせいで女の顔形がはっきりと浮かび上がり、おれは思わず息を呑んだ。その額には、見覚えのある渦を巻いた眉毛。片眼を隠した髪は明るいが色は分からない。女なのだが、その強い視線を湛えた眼は確かに見覚えがあった。
「待て、てめェの弟ってのは、まさか」
「そう、サンジっていうの」
 ずっと前から探し、追ってきた男の名前が目の前の他人からはっきりと発せられた。鼓動が強く鳴る。
「弟が閉じ込められている場所は、この先の部屋。岩盤をくり抜いた窓のない部屋で、ある術が掛けられていて『特別な』人間にしか開けられない。能力者ではなく人間、ね」
「な……」
「『特別』かどうかは、私に決定が委ねられているの。それは、ここを通るに相応しいかどうか。悪いけど貴方には可能性があると思うから言うわ。ここを通るにはある条件がある」
「何だ、条件ってのは。早く言え」
「覚悟がいるわよ」
「それ以上周りくどい事を言うなら斬る。時間がねェんだ」
 和銅一文字の柄を握り直し、もう一本の鯉口に指をかける。
「……ここに、貴方の大切なものを置いていきなさい。それができるなら」
「大切な、もの……?」
「ただしそれは……身体の一部よ」
「……何だって」
 目の前の女は、そう言って少し眉を寄せ、どことなく苦しげな表情をした。この女はどうやらロボットというわけではないらしい。
「貴方は剣士だからそれは……両腕になるわ」
 女の言葉が途切れた。無音の刻が暫くの間続いた。静寂を邪魔をするものは虫一匹なく、ゆらゆらと炎のような灯が足元の苔の中で揺れていた。ひんやりとした空気が、女の背後の暗闇から滲み出ていた。
 両腕の刀の柄を握る指に力を込める。
 両腕と刀は一体だ。おれのこれまでの行い全て、この刀共が見て来た。ただ前に進むために、高みを目指すために、おれは刀を振りここまでやって来た。
 一振の刀、そこにはおれの魂が宿る。
「……………てめェが本当にアイツの姉だと言う証はあるか」
「証?」
「それが本当なら、おれは、てめェの言葉を信じてここに腕を置いていく。それで奴が助けられるんならな」
「貴方……」
 女は驚いたように目を見開いた。そして急に、弾けたようにあはははと笑い始めた。
「勿論、私は間違いなくサンジの姉、ルージュ。けれど、私が本当の姉ならば貴方は私の言葉を信じるのね?どうしてかしら。私は、ただの、姉よ」
「アイツの姉なら、信用出来る」
 女は、それを聞いてハッとしておれを見た。そして徐々に眉を歪め、口を閉じてキツく引き結び、目を伏せて、にわかに口元に笑みを浮かべた。
 足元の苔の光が揺らめいた。
「…………貴方みたいな人が仲間に居るのね……あの子」
「あ?」
「ううん、少し羨ましいの」
 女の目にキラリとしたものが光ったように見えた。
 おれは息を吸い、両腕を前に差し出して深く息を吐いた。
「……いいのね」
「おれには分かる。確かにお前はアイツの姉だとな」
 おれの差し出した両腕を、女は黙って暫く見つめていた。そして片手を掲げるように上げて、また暫くじっとしていたかと思うと、ふいにその手をまた下に下ろした。
「行きなさい」
「あ?」
「もう、よく分かったわ」
 あなたが弟を救うのに相応しい人間ということを、と女は言うと、その身をフワリと地面から浮かせた。すると背後の暗闇がぼうっとほの明るく奥へ光を通して光った。女は見を翻し、姿を消した。
 おれは自身の両掌を見た。握り締めた二本の刀はしっかりと柄が手のひらに納まっている。空を斬ってみても何も違和感なく、両腕は無事のようだった。
「ありがてェ!」
 あの女が嘘を言っているとは思えなかった。が、こうして腕が残されているのはあの女が真に奴の姉だと言う証に思えた。
 目の前に続く暗がりの道を、真っ直ぐにひた走った。ただ一刻も早く、雲隠れしているあの馬鹿を引き摺り出す事だけを考えて。
 片翼が無ければおれ達は飛べない。

 奥へと進んだ突き当たり。目の前に現れたのは壁とほぼ一体化した扉と見られるものだった。
 取手のような所には手の大きさ程度の窪みがある。よく見ると、それはまさに手の形を象ってあるようだ。
「これか」
 右手のひらをその窪みに合わせて触れてみる。すると、触れた箇所が段々と熱を帯び熱くなってきた。暫くして微かに震えるような振動が始まり、数分間続いたかと思うと、突然扉全体が発光し始めた。あまりの眩しさに一瞬、目を閉じると、ガコンという強い揺れと共に扉がサラサラと砂のように崩れ去った。かざしていた手のひらが支えを突然失って、おれは前につんのめってしまった。
「ウワッ」
 思わず地面に手を突き、すぐに頭を上げると、だだっ広い空間の隅に人影があった。人影は、聞き慣れた声を発した。
「誰だ?!」
「よう、クソ眉毛。こんな所に隠れてやがったか」
「ぞ、ゾロ!? なんで……」
「んなこたこっちが聞きてェ。おめおめと捕まりやがって、さっさと出てこい」
「お前……どうやってここを開けた?」
「どうだっていい、てめェの姉とやらが居たけどな、自分じゃ助けられねェとか言ってたな」
 サンジは驚いた様子で暫く黙っていたが、喜んで出てくるつもりは全くないように見えた。
「……帰れ」
「あァ?」
「帰れ! おれに構うな」
「おい、この期に及んで腑抜けた事抜かすな! 早く」
「おれが出ていけばてめェも、しぬぞ」
「……は、脅されたか、情けねェ」
「連中は相当にタチが悪い、あいつらは本気で殺るぜ。おれ一人の身代わりで助かるなら安いもんだろ」
「安い……?」
 腹の底に冷えた石を投げ込まれた気がした。思いがけず重く、冷たい石だ。コイツの口から発せられた安い、と言う言葉には受け入れ難い痛みがあった。
「……おいてめェ」
「あァ?」
「何を勝手に自分を値踏みしてやがる」
 腹の底の石を強く、強く、砕けるほどに強く握り締める。
「てめェがそれで気が済むのか知らねえがよ、到底承服できねェな。おれ達はまだまだ道半ばだろうが! ここで諦める程度の夢だったか? 違ェだろ」
「……ッ、おれは」
「この先には四皇がいて、その先もまだ簡単じゃねェ。ここまで来ておれァ引き下がる気はさらさらねェぞ」
「だからおれは、だからこそ、お前らを先に行かせるために」
「先も後もねえ! てめェは、てめェ無しでルフィが海賊王になれるとでも思ってんのか」
「……!!」
「思い上がんな。おれ達は、誰かを犠牲にしねェと先に進めねェほど弱ェと本気でてめェは思ってんのか?!」
 サンジはそれを聞いて、半ば口を開いたまま言葉を失い沈黙した。思った通りだ。コイツは自分自身の価値を、全くいまだに分かっちゃいなかった。元からの性質がそうさせるのかどうなのかは知った事じゃない。ただいい加減、身に染みて解らせる時は今を置いてないだろうという気がしていた。
 一味に居る、その意味を。
「……おれ達は一蓮托生の運命共同体だ。てめェ一人で何とか出来るような小さな運命じゃねェんだ、一人外れようったってもう遅い。てめェは、おれと、おれ達と、ルフィを海賊王にするのを生きて見届けなきゃならねェ」
 おれの声が反射して洞窟内に響くのを、少し俯いてサンジはただ聞いていた。
「……思い上がっているつもりは毛頭ねェが」
 俯いたまま、サンジは少し掠れた声で言った。
「てめェがそんな事を考えてたタァな」
 俯いているために髪が顔に降りて奴の表情は見えないが、どうせ笑っている。そう思った。
「なあゾロ。今言ったその言葉、そっくりそのまま、てめェに返してもいいか」
「あぁ?! 何だそれは」
「よもや忘れちゃいねェよな? てめェも一度は己の野望を諦めようとした事をよ。犠牲ってんなら、それこそあれは何だったよ?」
 ……その言葉でおれの脳裏には瞬時に浮かんだ。デカいクマを前にしたあの時の、虚勢を張るコイツのボロボロの後ろ姿。刀の柄でコイツの身体をどついた時の手首に響いたあの衝撃。あれから二年以上経っても昨日のことのようにハッキリと思い出せる。
 あの時は確かにまだ、おれは未熟だった、今よりも。だから今なら言える、おれ達はあれからずっと強くなったんだと。
「……あの時はあれが最善の策だと思ったからだ。あの時のおれに戻れば、きっと同じ事をする。けど今は違う。おれもてめェも、あれから何度も修羅場を潜って強くなった筈だ。生きて、もっと強くならねェと辿り着けねェ場所があるのを知っただろ」
 顔を上げたサンジが、じっとこちらを見つめる。何を考えているんだか、コイツの腹の奥は相変わらず読めない。けれどこれだけは分かるのだ。ルフィは海賊王になる男だと、そこだけは寸分違わず一致する事を。
「……分かったよ、クソ剣士。あん時のおれと同じ胸糞悪さを、てめェも味わったって事でチャラにしてやる」
「あ? 何だチャラって」
「てめェらを信じる、って事さ」
 そう言って、ニヤリとした男にはいつもの調子が戻ったようだった。
「んじゃ、行くんだな」
「おうよ」

 崩れた出口を、二人して瓦礫を跨いで通路へ出た。見通しの良い直線の通路だが、この先も何が起こるかは分からない。けれど前に進む事に躊躇はなかった。それは、隣にコイツがいるからでもあり、遠いゴールの頂きが見えて来たからでもあった。
 コイツの鎖を引くためには、おれ達の間に唯一一致するものを思い知らせるしかないのかもしれない。それは、おれもきっと同じなのだろう。アイツにとってのおれは、おれにとってのアイツと同じように、ルフィを飛ばせるためのエンジンで、それは二人いなければかからないエンジンだ。

 鳥ならば、翼なのだと。
 そう思った。

 「おーい、起きろぉゾロ。飯だってよ!」
 忙しない大声で目を開けると、見慣れない閉塞空間の壁があった。
 どうやら、少し長い夢を見ていたらしい。それにしても、いやにはっきりとした夢だった。地面や岩の色、苔臭い空気もありありと思い出せる。それにあいつの姉だという女は、どういうわけかあの男の顔に瓜二つで、実際姉が居るのかは聞いた事がないが、何故か本当の姉だったという確信があった。実に不思議な夢だ。あの男の言葉や表情は、まるでたった今会ってきたばかりのようにおれの脳裏に食い込んで、繰り返し語りかけて来る。

「ゾロー、べポがおれらの分も飯作ってくれたってよ。ありがたく頂こうぜ」
「ああ……今行く」
 ポーラータング号からはすぐに海が見えない。潮風も、焼け付く日差しもここには無い。あいつのいないこの船で、あいつでないコックの作る飯を食って待つ。

『てめェらを信じる、って事さ』
 あいつは確かにそう言った。
 夢だろうと無かろうと構わない。あの野郎が生きて戻って来る事が、この一味にとって最善の策なのだという事を近くあいつも知るだろう。だからおれは待つんだ、共に飛ぶ為に。




End

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