サンゾロマンスリーお題「呑みデート」に寄せたものです。
「取り敢えず、飲まねェ?」
話を切り出す場所を考えあぐねていたもんだから、こいつの軽いノリの誘いは好都合だった。
こいつには理解できる話じゃない事は分かってた。こっちも言葉を尽くすのは得意じゃねェ、しち面倒な事は好きじゃねェから直球に簡潔に言ってしまえばいい。そのつもりでここに来た。
店は混雑していた。休み前の夜だから当然だろう、けれど上手い具合に、通された通り沿いのテーブルは周りがカップルばかりでわりに静かだ。助かる、と思った。
「で……何? 話って」
ビールの注がれたジョッキの端をコン、と爪で弾いて、この男はわざと通りの方へ視線をやりながら言った。
「てめェと別れる。今日で終いだ」
「……………は?」
逸れていた視線が瞬時に戻った。口を開けて目を丸くしたまま、おれを見てメデューサに石にされたように眉毛は固まっている。
「それを言いに来た。二度は言わねェ」
「……冗、談」
「を言う男とは思ってねえだろ」
「……まて…………待て待て待て、理由を言えよ! いきなり何なんだよてめェ」
テーブルに両手を付き身を乗り出して、眉毛は気色ばんだ。想像通りだ。おれがここに思い至った理由なぞ、こいつには到底思いつける訳がないのだ。
「言っても無駄だ、最後だからここはおれが払う」
そう言って伝票を掴み席を立つ。さっきジョッキを持って来た店のウェイターが通りがかりに、もう帰るのかと驚いた顔をしてこちらを見やった。
「ちょ、最後って、待てってゾロ! おい!」
眉毛が立ち上がった勢いでガタンと椅子が音を立てて倒れ、後ろのテーブルの客が振り向いて舌打ちするのが聞こえた。おれがテーブルの横を通ろうとすると眉毛は腕を掴んで遮った。
「ゾロ、おれが何かやらかしたならハッキリ言ってくれ、絶対に直すから、な」
「…………」
「いままでもずっと……嫌だったか? 無理やり付き合ってくれてたって事」
「違ェ」
即答し、男は驚いた顔をした。
「違ェって……」
「その逆だ」
「え?」
「おれにはお前がデカすぎる」
「……どう言う事だよ」
「てめェが思うほどおれは人間が出来た奴じゃねェ。だからてめェの気まぐれの一人になりたくねェ」
そう言うと眉毛は言葉を失って、ただおれとの距離を呆然と見つめた。
「キャパオーバーだ、じゃあな」
無言で立ちすくむ眉毛を後にして、おれは急ぎ足で店を出た。
外は霧雨が降り始めていた。
時々、バーの看板のネオンにぶつかりかけた。ふらふらと歩く酔客の隙間を縫って地下鉄の入り口のある方へと歩いた、つもりでいた。けれど行けども行けども入り口は現れない。おれは誰もいない別世界へ迷い込んじまった猫にでもなったのかと思えば、いやそれは願望だ、おれの情けない頭がそうだったらいいと創り出した幻だ、ならいっそここでのたれ死んでも誰にも迷惑をかける事はないだろう。次第に重くなる足取りに地面を擦り付けながら、闇の切れ目を求めてズルズルと歩いた。
目を開けると、見慣れた天井があった。
「あ……目ェ覚めたか?」
これもまた、聞き慣れた声が聞こえた。と同時に、額に温かい手のひらがゆっくりと触れた。
「おま……え、ここ、は?」
「おれんち」
答えた声色は笑みを含んでいるようだった。
「……戻ってきちまったのか」
「お前、熱出して道端にぶっ倒れてたからよ、拾って来た」
「熱…………?」
「だから強制送還。昨日の話はいったん、無しな」
「…………」
「おれは昨日、ゾロって奴と別れた。んで今日は、ゾロって奴を拾って来たんだ。今日からはそいつとの共同生活一日目を、今から始める」
「な……?」
「勘違いさせてたのはおれのせいだ。けどおれの言い分も一つ、言わせてくれ」
そう言って青い目が、おれを覗き込んで来た。
「キャパオーバーはおれの方だ、ゾロ。どうしていいのか分からねェ。なあ、どうしたら、おれはお前の最後の男になれんの? 教えてくれよ」
懇願するように眉毛を下げて奴はおれを見つめる。見つめ続ける。この瞳をおれは全部独り占めしたくて、藻搔いて、足掻いて、消耗して。そんな日々から逃れたかった。
どうやらそれは、生涯不可能のようだ。
「度を越したバカだなてめェ……最後も最初もねェよ」
てめェがただ一人の、唯一の男だ。今までもこれからも。