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地球タクシーなふたり(未満)。ブロマンスだといいなあと…


 こんな依頼を受ける流しのタクシーがあろうとは、良い誤算だった。

 目的地を聞かれ、適当に街を周ってくれと言うと一瞬目を丸くしたドライバーは、次の瞬間、渦を巻いた眉をヘラッと下げて「りょーぅかい」と軽く答えた。唇の端には咥え煙草。薄いブラウンのサングラス。右半分を隠すさらさらと派手な金髪。つる草か何かのイカれた謎柄の開襟シャツ。絵に描いたように軽薄なルックスの男だが、まあ仕方がない。いま贅沢は言っていられない。
 人通りも車通りもすこぶる多い石畳の道路を、運転手は小気味良くハンドルを取り回しながら進んでゆく。渋滞続きで大したスピードを出せないのをいい事に、開け放した窓から道をゆく歩行者の女どもに度々声をかけ、胸焼けするような甘ったるい美辞麗句を投げかけ続けている。どうしようもないナンパ野郎の車に乗っちまったとため息をついてみると、運転手は前を見たまま話しかけてきた。
「お兄さん、観光で来たのかい? どっか、見たい所でも?」
 浮ついたさっきまでの声色は何処へ行ったのか、意外にも渋目の低音だ。少し広い通りに出た所で車もスピードを上げつつあるが、安定したハンドル捌きも危なげがない。もちろん、プロであるのだから当然なのだが、どうもこの男は、一筋縄ではいかない人間のようだ。
「ああ、まあそんな所だ、とりあえずサンタンジェロ橋、いや……フォロ・ロマーノまで行ってくれ」
「あいよ、お客さん、ローマは初めてかい?」
「ああ」
「そりゃあいい。この街は隅から隅まで見所ばかりだぜ? 街自体が遺跡みてェなもんだ。いくら歩いても追いつかねェ」
 それをきっかけに、運転手は名所を通るたびに解説を語り続けた。ガイドブックに書いてあるような内容ではあるのだろう。けれどこの男の語り口調は、何故か心地良く耳に響く。後部座席で運転手の流れるようなガイドを聴いているうちに、窓の外には大きな半円の建物が見えてきた。
「あれがコロッセオだよお客さん。そんで、そっちがフォロ・ロマーノ。そこからあっちまで、ずーっと」
「ああ、あれか」
「どうします? 着いちまったけど」
「あ? ……そうだな、この辺りもう少し回ってくれ」
「んじゃ、コロッセオの周りもう一周するかい」
 車はまた、走り出した。
「ローマは基本、車で走りにくい街なんだよ。すぐ渋滞しやがるし。女の子がみな美女なのが救いだよ全く」
「へェ」
「観光地は山ほどあるが、どこかしら掘れば何かが出てくる街だからよ。新規工事もその度に止まっちまう。そこのフォロ・ロマーノだってそうだ。動かしようがねェからな」
「なるほどな」
「大胆な開発ができねェんだ。昔のローマ人もビックリするかもな、二十一世紀におれの家が残ってる! って」
 しばらく行くうちに、興味を持ったおれは尋ねてみた。
「ローマに住んで長いのか」
「おれ? そうだなあ……ま、かれこれ十年は居るか」
「ローマ生まれじゃねェのか」
「んー、生まれはここじゃねェの。十年前に引っ越してきてな。故郷はもっと南のほう」
「なんでこっちに?」
「まあ色々あんだよ。一番は仕事の都合さ、南と北じゃ条件が違いすぎる」
「そうなのか」
「それに、おれの実家はろくでもなくてな。一刻も早く出たかった。やりたい事があったんだ。けど古い慣習に縛られたクソど田舎じゃ……ひとりで家を飛び出して北を目指した」
 身の上を語り続ける男を見ているうちに、何故か引き込まれてゆく自分が意外だった。飄々とした口調ながら、内にある強い芯、そして何か秘めた熱を感じる。不思議な事に、初めて会ったこの男の話を聞いてみたい、もっとこの男のことを知りたいと、次第に思い始めたのだ。
「やりたい事ってのは何だった」
「ああ……料理人になりたくてな。実家じゃ猛反対されて、やらせてくれねェから家を出た。けどそんなに世間は甘くねェよな。今は金を貯めるのに必死だが、近いうちに必ずおれはコックになる」
 見た目も、態度もふざけた軟派野郎だと思っていたが、どうやらコイツの実態はもっと違うところにあるらしい。そんな確信が生まれた。
「……おっと、喋り過ぎちまったな。悪ィ、そろそろ着いたぜお客さん」
「いや……まだだ、海岸まで行ってくれ」
「へ? 海岸? こっからはけっこうあるぜ? いいのかい」
「ああ、構わねェ」
 不思議そうにこちらを振り向いた男は、それでもハンドルを切って大通りへと走らせる。後ろへと去ってゆく街並みが少しずつ変化を見せ始め、道を歩く人間の身なりも観光地の真ん中とは明らかに違って見え出した。崩れかけた石畳みに車が上下に細かく揺れ続ける。
「……おれは今日でこの仕事を辞める。あんたは、最後の客だ」
 唐突に男はそう言った。
 好機とはいつだって突然訪れるもんだ、瞬時にそう思った。
「へえ? そりぁ好都合だな。じゃあ街へ戻る必要もねェだろ」
 そう言うと目を丸くした男は、次の瞬間に弾けるように笑いながら、初めておれに『素』の顔を向けた。
 
「あんた、名前は? おれァ、サンジだ」
 

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