乗るか反るかは金次第

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 こんなことになるとは、全くもって驚きだった。
 まさかの、一円も違わず同じ数字。先週勝負した、お互いのゲインは完全に同額だったのだ。

「…………まっさか、ここまで一致とはなァ」
「…………」
 天井を仰ぐおれと。隣で口をひん結んで黙りこくっている男、ゾロ。
 週末のビジネスホテルの一室は、奇妙な沈黙がしばらくの間充満していた。
「けど全く同額なもんは仕方ねェ。こいつァ完全に引き分け、って事で」
「……引き分け?」
 ベットの端に腰掛けている男は眉間に深く皺を寄せ、これから刺すぞというような勢いで凶悪にこちらを睨んで来た。
「ただ、これァおれのミスだが、『引き分け』の時のことを考えちゃいなかった」
「…………」
「どうする?」
 一応、努めて落ち着いた風で尋ねてみたつもりだ。けれど奇妙な事に、コイツは再戦も取り下げも提案してきやがらない。勝負を提案した時にはあれだけの形相で食ってかかって来たというのに。
 いや、そんな事よりもっと重要なのは、拒みもせず文句も言わずこの部屋に付いてきたという事実だ。確かに約束はした。そしてホテルで勝負の結果を見ることも事前に話した。けれどそれを鵜呑みにする必要なんてない、嫌なら消えればいいことだ。なのに一体どういう了見なのか。少ない可能性を頭の中で掻き回してみても、いやいやそんなわけねェだろともう一人の自分が一笑に伏していた。この男がどうして今ここに来ておれの隣に座っているのか、知る手立ては余りにも無かった。
 先程の質問にもゾロは答えず、ひたすらに無言を返してくる。
「おれァ再試合してもいいぜ、2回もゲインが一致するなんてこたあり得ねェしな? 今度こそ、勝負はつくだろ。ま、おれが勝つんだけどよ」
「…………」
 ゾロはそれでもまだ無言を貫く。
「てめェが相当の場数踏んだ手練れなのはよく分かったぜ、このおれにゲインを並ぼうなんて奴ァ」
「おい」
 突然、こちらの言葉を遮ってゾロは振り向いた。
「誰が再戦だ、勝負はこれきりだ」
「へ?」
「引き分けなら、引き分けに相応しい落とし前つけろ」
 言葉の意味が飲み込めず、沈黙を返す。すると、
「買った方が上、負けた方が下、っつう約束だったろうが」
「……や、まァ、そうだったが」
「引き分けなら双方が上だ、それで受けて立ってやる」
 そう言ってゾロはニヤリと口端を引き上げる。
「双方が、うえ……え?」
「そうだ」
 双方が、うえ。
 こいつの考えている事と、おれが今想像してる事が同じなのかは分からない、けれどこれは一か八かだ。こんなシーンは山あり谷ありの相場で何度もあった、一瞬の判断が次の運命を決めるのだ。
 ギシリ、とベッドの沈む音。
 真っすぐにこちらを見据える男の目に、迷いは見えない。
「……いいネクタイしやがって」
 こちらに向き直ったゾロの首元を締める結び目に人差し指をぐっと差し込む。力を込めて引くと艶のあるグリーンのタイがするりと指に絡みつき、その下に隠された次の錠、かっちり留められたシャツの第一ボタンが現れた。わざと荒く指をかけ、ボタンの下の布に親指を滑り込ませる。ひとつずつ、順に、下へとボタンを外してゆくおれの動作をゾロはじっと見つめていた。すべてを外し終えてシャツと肌の狭間にそっと手を差し入れると、わずかにビク、とゾロの上肢が揺れた。滑らかで弾力のある筋肉に触れ、思わず視線が吸い込まれる。
 はぎ取った布地の下にあったのは、想像した以上のものだった。
 隆起した筋肉がギリシアの彫刻かのように完璧な男の肉体を形作っている。それなのにどんな彫刻とも違うだろうその一点、ゾロの胸から腹にかけて、完璧な筋肉を裂くように袈裟懸けの大きな縫い傷が目の前に現れたのだ。思わず、ゴクンと生唾を飲みこんだおれをどう思ったのか、ゾロはくッと笑いを零した。
「は、なんだ、この期に及んで怖気付きやがったのか」
「ッ、まさか。いい眺めだと思ってよ」
 そうは言ったが、この傷の理由に触れるべきか。一瞬迷ったが、おそらくコイツはそんなことを大事に思ってやしないだろうと、なぜか思った。それに怖気付いたと思われるのも悔しい。そして、そんなことよりも、だ。
「……むかつくな、てめェ」
 左耳に居座る、三つの金色に指をかけてしゃらりと揺らしてやる。これも前々から気に入らない。およそコイツの風体に不釣り合いな美しいピアス。コイツの耳に食い込んだ三つの傷に加えて今日、さらに規格外に大きな傷を目の前に晒された。傷ばかり纏った肉体が、得体のしれない感情を煽り始めていた。
 無抵抗にゾロは押し倒された。鎖骨から耳下につながるしなやかに太い筋を食みながら、募ってゆくなにかにおれは圧倒されていた。ただ、何も知らないこの男のことを知りたいからなのか、それとも知ってほしいからなのか。
 おれの、この先の欲望を——
 重なる下半身の中心に手をかける。固く湿った互いのものを引き出して重ね合わせると、唇の下の喉が小さく呻いた。おれの予想とお前の予想が一致するなら、許されていいはずだ。

 突然、ベッド脇からけたたましいアラート音が鳴り響いた。

「「ッ!?」」

 飛び起きたのも同時だった。おれも、ゾロも、瞬時にスマホに手を伸ばす。
「「世 界 同 時 株 安……!?」」

 おれたちは相場のプロだ。
 ただ、この一週間、該当銘柄だけにすっかり気を取られていたのだ、この勝負のために。

 二人して秒速でホテルを飛び出し、オフィスに走ったのは言うまでもない。ただし、去り際の「続き忘れんな」というゾロの言葉に俺の脳内はさらなるいかがわしい分裂を始めてしまったのだった。






おわり

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