乗るか反るかは金次第

タグ: [4529 text]

現パロ、雰囲気トレーダーのサゾ(未満)。


「あー……やっちまった、クソッ」
 
「お兄さん、お兄さん!」
「ッと、悪ィ、何だ?」
「ソース! チリソースかケチャップかどっち?」
 キッチンカーの店員が、唾を飛ばして怒鳴るほど何も聞こえず呆然としていたらしい。
「あ、ああ、チリソースで……」
「へーい」
 若干の横柄さを含んだ店員の返事からして、かなりの間、おれは声がけを無視していたらしい。普段はニコニコと愛想のいい店員なのだからよほど苛立たせていたのだろう。
 渡されたケバブサンドの紙包みを手に、大通りに面した噴水のある公園に向かう。昼休みはまあまあの人出で、しばしば座る場所に苦労するが幸い今日は丸ごと空いているベンチがあった。
「ふぅ」
 座った途端、思わず大きなため息をついてしまった自分に苦笑いをした。思えば朝イチからトラブル続きで、コーヒー一杯すら口にしていない。空腹は極まっている。それでも食欲があまり湧かないのは致し方ない。
「ここ、いいか」
 突然、斜め上方から男の声が降ってきた。よほど心を手放していたか、野郎が近づいて来ていた事すら気づかないとは。
「あ? ああ……どうぞ」
 そう適当な返事を返すと、男は躊躇う素振りもなく隣の空間にドスンと腰を下ろした。近辺で同じように働いている人間なのだろう、けれど誰が座ろうと今はどうでもいい。超絶美女でもない限りは。
 ケバブサンドのパンをひと齧り。咀嚼して大きく呑み込み、コーヒーを一口。その動きを何度か繰り返す。味わいも何もあったもんじゃない。ただただ、食い物を腹に流し込む作業を続けていると、隣から低い声がした。
「しくったのか」
 突然、胃に砲丸を投げつけられたかのようだった。
「……あ?」
 思わず隣を振り向いてしまう。隣の男はこちらを見ず、手にしている缶コーヒーの栓をプシュッと開けて続けた。
「寄り付きからの暴落」
「…………」
「自分の金じゃねェんだから、んな落ちる事もねェだろ」
「おま……」
 まじまじと隣の男に目をやる。スラックスに白いシャツ。グレーのピンストライプのベスト。なんて事のないサラリーマン風の服装だが、生地の張りを通しても分かる妙なガタイの良さ。髪は若草のような緑色。そしてその風貌全てに逆張りするかのように、左耳に揺れている三つの金色。
 ベンチの背に鷹揚に腕を乗せ、一気に缶コーヒーを煽る男におれは見覚えがあった。
「見た事あんな、てめェ。よくここで筋トレしてんだろ」
「まあな」
「おれのため息の理由が分かるってこたァ、同業か」
「そんなもんだ」
「なるほど……平然としてやがるとこ見ると、上手く波乗りできたって事かい? てめェは」
「おれァ単一銘柄で一喜一憂したことはねェ」
「へえ? そりゃ随分と自信がおありで。けど今回のは他にも影響でけェんじゃねェの」
「リターン取るのにガチホできねェ奴ァ退場するだけだ」
「は」
 面白い男だと思った。自分の界隈にいる野郎どもは揃いも揃って目を血走らせ、胃に穴をあけながら細かい数字に踊らされている奴ばかりだ。最近の変態じみた値動きの中、こんな風に動じず恐れずマイペースな男は見たことがなかった。
「てめェ、名前は」
「……ロロノア・ゾロ」
「ゾロ。じゃ、ひとつおれと勝負しねェ?」
「ああ? 勝負ならいつでも受けてたってやる。何の勝負だ」
「自分の金で。そうだなあ……銘柄は3232と、1111。来週金曜の引き時点のゲインでどっちが多いか」
「ふん……で、勝ったら?」
「勝ったら、な……」
 しばし思案した。この男と勝負する、何故かそれ自体を考えるだけで我知らず興奮を覚えてくるのだ。その後のことは知らねェ。けれどもし、ボーナスステージがあるとしたら。
「勝ったら、負けた方を好きに出来る、ってのはどうだ?」
「あ?」
「おれが勝ったら、てめェの操いただいてやるよ。どうだ? 燃えるだろ。もちろんてめェが勝てばその逆でいい」
「は?」
 すると男は、みるみる顔を紅潮させていき、しまいに真っ赤に染まってしまった。意外だった。こんな下世話な賭けにまともに取り合うわけがないと半ば冗談で言ったというのに、眉間を寄せたままますます体温を上げているかのような目の前の男に、磁石のようにおれは引き込まれた。
「なんてな」
「は?」
「まさか本気にした?」
 そう言ってやると、沸騰した湯気が今にも噴き出さんばかりに茹で上がった顔を強く歪めて、ゾロは襟元に強く掴みかかってきた。
「てめェ! ふざけた事いいやがって、首へし折られてェのか! 誰が乗るか、ンな勝負!」
「おいおい、冗談だって言ってんだろ? まさか本気にしたのかよ可愛いなお前」
「かっ、」
 可愛いだと? と、さらに激昂してくる男があまりにも面白く、ついからかいたくなる自分にも驚いた。
「そーんな本気で真っ赤になられちゃ、楽しくなってくるじゃねェかマリモちゃんよォ」
「誰がマリモだ!」
「冗談だったのに、本気でやりたくなんだろうが。当然、おれが勝つんでな。可愛がってやんぜ」
「阿保抜かすな! おれァ相場で負けた事なんかねェ。泣きをみるのはてめェだ」
「おうおう、それは来週の引けの後分かるって事だ。じゃ、いいな? 勝った時は」
「ああ、好きにしろ。負ける気は全くしねェがな」
 冗談が、いつの間にか本気になっていた。
 おれも制御できないところまで、これからドップリ浸かってしまいそうな予感しかしない。
 金は水モノ。けれど、こんな風に誘う金色になら、全てを投じても惜しくはないと、人生で初めておれは思った。


 

error: