ZS R18 10729文字
2018年のゾロサン初夜アンソロに寄稿したものです
暗礁に乗り上げたサニー号を動かす為には、数日後の満潮を待たねばならない事が航海士から告げられた。
「仕方がないわ。停泊中に出来ることをやって準備しておきましょ。もしかして明日にでも急に満潮が来るかもしれないし、そこは読めないから」
「はあ〜〜いナミすわん!」
「じゃあ俺はさっき見たでっけえ海王類を釣るぞ!おいウソップ!あの海王類専用の釣り竿貸してくれよ!」
「おいおいおい、ルフィ、そりゃいいけどよー、あれは結構コツがいるんだぜ?お前、下手して海に落ちたらどうすんだよお〜」
「じゃウソップ、お前も来い!」
「はああ…やっぱりそうなるよな!…なあ海王類じゃなくて普通の魚釣ろうぜ…」
「イヤだ!海王類だ!!」
「あたしはロビンと日用品と服の買出しに街に行って来るから、船の修繕と見張りに2、3人…」
「オゥ!船は任せとけ!満潮が来たら瞬時に出発出来るようにしといてやるぜ!!!」
「あ、ワタクシも見張りに残りますヨホホホホ!余り動き回るのは骨が折れますし!あ、折れたら私どうなr」
「オレも残るぞ!薬の調合しときたいし。何か怪我したら、みんなすぐ船に戻って来るんだぞ?!」「あ、積極的にスルーでしたねヨホホホ……」
「じゃ、俺は食料の調達に行って来るよナミすわん!」
「ああ、頼んだわ。ちょっともう行ったのルフィは?みんな、あんまり遠くに行かないでよ〜〜!!!満潮が来たらすぐ出発するから!じゃね。ロビン行きましょ」
「……」
サンジの隣で一人、指示を仰がなかった剣士が既にイビキをかき始めていた。
その脇腹に、強い蹴りが一発入り、ゾロは数メートル飛ばされしたたかに甲板の壁面に身体を打ち付けた。
「いっ……てェな!!急に何すんだてめェは!!」
「早速寝腐ってんじゃねえクソマリモ!ナミさんの的確な指示に従って皆んな動いてんだぞ!てめェも少しは貢献しろ!」
「ああ?!別に今はする事ねえじゃねえか」
もう一度蹴り飛ばそうとサンジは足を構えたが、ふと思い立ち、少し声色を落ち着かせて言った。
「…よし。てめェは荷物持ちだ。一緒に来やがれ」
「あ?荷物持ちだあ?」
「てめェが今唯一役に立つ仕事だ、有難く頂戴しろ」
島の市場は街の外れにこじんまりと並んでいた。
買い溜めたもののうち、粉や穀類、砂糖など重いものをゾロに担がせてサンジは何やら店先で店主と話を弾ませている。
「おいコック、もういいんじゃねえのか買い出しは」
「おう!ちょっと待て」
そう言って振り向いたサンジの瞳は、小さな子が玩具を見つけたようにキラキラと楽しげに煌めいていた。
く、とゾロの胸の奥が跳ねる。
…なんだ、今の笑顔……
サンジとの出会いはハッキリと覚えている。
海上レストランでの黒いスーツに身を包んだ男。男客と女客で対応が全然違う、最初からいけ好かねえ男。
「ばかじゃねえのか…お前ら真っ先に死ぬタイプだな」
「当たってるけどな…バカは余計だ」
最初はこんな会話だったと思う。
元から価値観の違った者同士が何故か同じ船で航海することになった。そう簡単に軋轢が消える筈もねえ。
売り言葉には徹底して買い言葉で返す、料理は美味いが足癖は悪い。
あんな奴はほっときゃいい。俺は世界一の剣豪を目指す。それ以外の事に興味はねえ。
だが。
俺に向けた事のない無邪気な子供みたいな笑顔を、ある島の宴で目にした時から。
そう、あの時だ。
あいつを目で追っていた事に気付いたのは。
宴で美味いと皆に褒められた料理の話を得意気にしながら、コックは花が咲いたように笑った。
俺はその笑顔に釘付けになっていたらしい。ふと、こっちを振り向いたコックと目が合った。
一瞬、息を飲んだ。
腹の底からの純真な笑顔が、俺自身に向けられたかのような錯覚をした。
全神経が奴に向かっていた。身動きできなかった。
それはほんの一瞬の事で、コックは少し目を見開くと、ふい、と目を逸らし向こうを向いた。左半分を覆う金髪で、表情は見えなくなった。
それきりヤツがこちらに笑顔を向ける事はなく、それを俺は残念に思った。
いや寧ろ。
苛立ちを、感じていた。
「おい荷車マリモ、そっちじゃねェ。こっちだ」
「あぁ?もう市場のはずれじゃねぇか。まだ店が向こうにあんのか」
「店じゃなくてよ、さっき聞いたんだが、この島にゃとびきり美味い果物の木が群生してる所があんだとよ、そこ、ちょっと行ってみねェか?折角来たしな!果物は貴重だ、あったらあるだけいい」
「果物…?ったく、いつの間にンな情報を」
文句をいいつつもゾロは、軽やかに鼻歌を歌いながら先を行くサンジに付いて、低木の茂る林の中を分け入り歩いた。
食い物の話になると機嫌良く笑うコックは、悪くねェ。
数十分歩くと、少し拓けた高台に出た。
「ああ、こっから港が見えるし…この辺りかな」
サンジはキョロキョロと周りを見渡すと、ある場所の方を指差して言った。
「お〜?アレじゃねェの?スゲェ、本当に群生してやがる!おい、ちょっと行って来るからてめェここで待ってろ。動き回んなよ、面倒だからな」
「ああ、分かったから、早くしろ」
持っていた荷物を下ろし、汗ばむ掌をグイ、と腹巻で拭う。
「…あっちィな」
刀を外し、パタパタと腹巻を仰ぐ。
食べ物の事はコックに任せるしかない、と分かっているので、ゾロは大人しく待つことにした。
サンジの行った方角には、青々とした低木の小山がみえる。その向こうは複雑な地形の崖が折り重なり、海が近いとはいえ容易に海岸に降りられそうにはない。
……腹減ったな。
一時間以上は経ったか。
「遅ェな…」
見上げていた空の雲も去り、ただ青の絵の具を塗りたくったような空の色にも飽きてきたゾロは、徐ろに立ち上がった。
あのコックに何かあったら、とか、そんな心配はしちゃいない。ただ、俺をここで待たせているのを忘れて果物狩りに没頭するようなヤツじゃない、とゾロは思った。
「こっちの方に行ったな…」
ふと、焦りを感じ、気がつくとサンジの向かった小山の方角へ、ゾロは足を踏み入れていた。
ゾロが見つけたのは、海岸の崖っぷちにほど近い所にある、人が2人ばかり落とせそうな穴だった。
中を覗こうとすると、穴の縁に人が足を滑らせたような跡。
チッ……あの間抜けが…
ゾロは穴を覗き込んで叫んだ。
「おい!コック!いんのかー?!」
声はあまり反響せず、深く中に落ちていく。暗くて様子が見えない。
すると、奥から声が帰って来た。
間違いない、コックの声だ。
「何やってんだ!早く出て来い!」
出られねえ、と聞こえた。怪我でもしたのか、と問うと、落ちた時に足を捻った、大したことはないが今は登れねえ、それに壁面が苔か何かでヌルヌルしてる、何か紐でも持って来てくれ、そんな声が返って来た。
「紐なんかどこに…」
辺りを見渡そうとしたゾロは、急に吹いてきた突風に煽られ、見事に穴にホールインした。
「…だから、何でてめェまで落ちて来んだよ!!聞こえたろ、俺の話がよ!」
「しゃあねえだろ!あんな突風、予想出来るわけねェよ!」
「全く同じようにまんまと落ちんな!…ったく、注意深い俺が足を滑らした理由が身をもって分かったろ」
落ちたのはかなり深い所だが、何故か柔らかな草が茂る、小さな部屋程度の広さの張り出した岩場に引っかかったのだ。勿論同じように、サンジもそこに落ちたのである。
落ちた穴の入口は、かなりの高さだった。明かりはそこから差す日の光だけで、洞窟のような中は薄暗い。
「おいコック…俺をあそこまで蹴り上げろ」
はァ、とため息と共にサンジはポケットからタバコを取り出しながら言った。
「…だから言ったろ。捻ったのは両足なんだよ、暫く蹴れねぇって。てめぇ、刀で登れよ。こんな高さ、屁でもねェだろ」
「…刀は置いてきた」
「……はぁ?!」
タバコに火をつけようとしたサンジは、しばし固まった。
「荷物んとこにな。こんなとこまで来ると思わねぇからよ」
「てめ…刀のねェ剣士か」
「っるっせェな!てめェこそ、足が使えねェ黒足だろうが!」
「…斬れねェ剣士と、蹴れねェ黒足か……」
遠くに光る穴を見上げ、二人は同時にため息をついた。
「…はァ…てめェが来ればすぐ出られると思ってたのによ…」
「…どうする」
「……とりあえず」
フー、と紫煙を吐き出し、サンジは右下の方を指差した。
「さっき気付いたんだが、この洞窟はただの穴じゃねぇ。こっちの方から磯の匂いがすんだ。それによく耳を澄ませてみろ。…波の音がする」
「あァ?……てことは」
「…海と繋がってる」
言われた方角に耳を澄ますと、確かに、微かなザザ…という音が聞こえる。
「ナミさんが言ってたろ。数日のうちにこの島に満潮が来る。そしたらここに、海水がたらふく流れ込んで来る筈だ。それなら上手く泳いであの穴の出口に届くかも知れねぇ」
「…満潮を待つってことか」
「あぁ。この岩壁はヌルついてんだろ。きっと満潮が来りゃ、海水が充満するぜここは」
「…いつだ」
「そりゃあ、知らねぇ。…まあ待つしかねェな…」
幸い、さっき採れた果物ならちょっとあるぜ、とサンジは小さな実をひとつ、ゾロに投げて寄越した。
コイツと二人きりで何時間もいた事は、無論今までなかった。
ゾロはごろりと草の上に横になると、タバコをふかす横顔をそっと見つめた。
元々薄暗い中、金髪が影になり、表情は殆ど見えない。
コイツはいつもそうだ。まともに真正面から話そうとすると、すぐにふぃ、と目を逸らす。他のヤツらには、決してそんな態度じゃない。ヤツを目で追っていて気付いた。
──俺に対しては、だ。
急に、ゾロの内に加虐心のようなものが浮かんだ。
「なあ」
「あ?何だよ」
「ヒマだ。何か喋れ」
「はァ?何でマリモに命令されなきゃなんねえんだよ」
「…別に命令してる訳じゃねェよ。ヒマ過ぎんだろ、ったくてめェが落ちたんなら責任取れ」
「っ……そりゃ落ちたのは俺が先だけどよ、てめェがすぐ気付いて紐でも持ってくりゃ解決してた話じゃねェか。ったく…しかもまさか刀がねェなんてな…」
「あァ?てめェな。じゃ俺が来なかったらどうするつもりだったんだ」
「そ、りゃ…いや、来るだろ、てめェは」
サンジの口調が、僅かに緩んだ。
「……悪かったよ」
何かが、疼いた。
俺が来るのを信じてた。そう言ったか。
相変わらず、表情は見えない。
「…っ、とにかく、荷車マリモが丸腰で落っこちて来るなんてのは予想外だ」
「誰が荷車だ」
「てめェこそヒマなら何か話せよ。そういや俺はてめェが長々喋るのを聞いたことがねェな。喋ってみろよ。まずその俺に対する減らず口の理由をだな」
そう言ってサンジはゾロの方を振り返った。明かりがサンジの頬を照らし、表情が露わになった。ギッ、とゾロを睨む強い瞳。
その顔は、いつもの顔だ。
それじゃねェ。
俺が見たいのは、それじゃなく、あの宴の時の…
「おい!聞いてんのかノー刀剣士」
さっき疼いたものがフツフツと沸騰を始めた。何だこの気分は。
ゾロは立ち上がると、サンジの正面から肩を掴んだ。勢いが付いていたのか、不意を付かれたサンジは後ろの芝に背中を打ち付けた。
「いっ…てェな!何す」
「減らず口はてめェだろ」
その口から違う言葉を聞いてみたい。
俺に対して、言ってみろ。気に食わねェなら、そう言えばいい、正面から蹴り上げればいい。何故てめェはいつもそうだ。
何故俺を信じようとする。
ゾロの唇が、次の言葉を探して薄く開いたサンジの唇に押し付けられた。少し低い体温が伝わる。角度をずらし更に押し付ける。驚きと戸惑いがサンジの唇をピク、と震わせた。
ふ、と唇を離すと、間近に見開かれた青い瞳。拒絶の色はなかった。
数週間前の、宴の時。
樽ごと持ち込まれた酒を、俺は多少いつもより煽り過ぎて寝入っていた。と言っても勿論熟睡していた訳じゃなく。他の連中が寝落ちている中、片付けるコックの気配があったからそのまま居ただけの事。どうせサッサと寝ぐらに行けと蹴り飛ばしに来る、そうタカをくくっていた。
コックが近づいて来る気配。時間切れか。そう身構えていたその時だ。
唇に、何かが触れた。
同時に、細かな髪がサラリ、と頬に触れた。
何が触れたのか気付くのに暫くかかった。コックの、唇───
酔っていた?そんな筈はねぇ。
アレは何だった。てめェはずっと、何も言わねぇ。
あの時からずっと、理由の分からぬ苛立ちがある。
「…知らねェとでも思ってんのか」
「…っ…な、何がだよ?」
「てめぇのそういう所がな、俺は気に食わねェんだ」
蹴らねェのは分かってる。蹴れねェ、ンじゃねェ。蹴らねェコイツの深いところには何がある。
あの時の答えが、あるのか?
ゾロはサンジの顎を鷲掴むと、再び食らうように口を塞いだ。
「んぅ…っ…」
舌を割り入れ、絡める。顎を固定されたサンジはされるがままに。戸惑いが鼻腔を震わせ、容赦を請うように熱い息が洩れた。
「……ふ…」
「…何で抵抗しねェ」
「…抵抗……抵抗して欲しいのかよ…」
潤みを孕んだサンジの青い瞳が、ゾロを捉えた。心臓が、グン、と鳴る。
「てめェ…」
「俺ァ、お前の目の敵だろ?…俺を征した気分はどうだ、上々じゃねェの」
「な…んだと」
「そんな勝負は俺はゴメンだ。てめェの勝ちでいいさ。…どけよ」
「っ……」
「どけ!」
ゾロは身を起こしたサンジに押され、身体をずらした。
納得いく筈がない。この男が簡単に本心を言うヤツじゃなかったのを、忘れていた訳じゃない。
背を向けて座る二人に、沈黙が流れた。
そうじゃねェ、俺は…勝負なんかしたつもりじゃねェ。
そんな言葉が、発せられないまま、頭の中を駆け回る。
ぐ、と拳を握り締め、口を開こうとしたゾロより先に、サンジが沈黙を破った。
「てめェ…あの時起きてやがったのか」
あの時…そうだ、あの時。
「…あぁ」
「そうか」
サンジは、ポケットを探りながら続けた。声が少し掠れている。
「忘れてくれ」
「……あ?」
「…別に大したイミはねェんだ。寝コケてやがるてめェにさ、ちょっと悪戯しただけだ」
「……」
「嫌がらせと思ったんだろ?あンな…下らねェよな。んなに根に持ってるとは思わなくてよ」
違ェ。
「……ははっ、悪かったよ。そういつまでも怒んな」
後ろを向いたサンジの表情は、見えない。
「…てめェ、俺を舐めてんのか」
「あ?だから悪かったって」
「てめェが、嫌がらせでンな事する訳がねェ。そんな事くらい知ってんだ」
「っ………」
沈黙は、図星の意味か?
「…嫌がらせじゃねェなら何なのか、ずっと俺は考えてた、だけどてめェは何も言わねェ、寧ろ俺とサシで話すのを避けてんだろ?」
「………」
沈黙が、続いた。
「女と見れば鼻の下伸ばして騒ぎまくるてめェが…仲間の、ましてや」
「ああ、そうだよ!!」
突如、サンジの声が濡れた岩壁に響いた。
「仲間の、ましてや野郎のてめェに…よりによっててめェに…俺だってわかんねえよ!」
叩きつけるようにサンジは続けた。
「そんなモン抱えてたって…どうしようもねェよな…キモいし…行き場なんてねェ…俺は…」
胸の底にジワリと何かが迫る。
「…俺は同じ船のクルーとして、役目を認めて貰えれば充分だ。あわよくばてめェの隣りで…双璧を張れたらそれでいい。今まで通り…だから」
ゾロは、言葉を失い、ただサンジを見つめた。
コイツが深い所に抱えていたものは、俺が思っていたより、ずっと、もっと…
「…だから、さ。忘れてくれよ、アレはもう」
努めて軽くサンジは言ったが、語尾は小さく掠れた。
ザザ…と、遠くから微かに波の音が、冷えた空気に紛れて訪れた。サンジの背中に、淡い光が揺れた。
気付けば、ゾロは後ろからサンジを抱きしめていた。吸い寄せられるように、その背中をしまい込むように。
「阿呆が……」
「……、ゾ」
「忘れる訳、ねェだろ」
その腕に、力を込める。
「てめェは、心の鎧が、重ェな」
「……え」
「傷付かねえように必死だろ…まだ何も言ってねェのによ」
「っ……でも」
「言ってみろ。欲しいモンを」
サンジは、顔を起こしたゾロを見た。
剣豪を目指すその男の眼は、誤魔化しや弁解を赦さない。
剣先がビリリ、と空気を震わすような緊張感。
「本当に欲しいモンが、あるんだろ」
サンジの中に答えは、ある。ずっと、ある。
それをいま口に出すかどうか、だ。
言葉を選び、慎重に吐き出したとしても、それはサンジの、出会いからこれまでに長い間押し込まれてきた想いの、どこまでを届けられるのか。
口にした途端にそれは、他人事のような色を帯び自分を傷付けるに違いない。自傷行為だ。そう思った。
それでも尚、サンジは湧き出る情動に耐え切ることが出来ずに、遂に口にした。
「……そうだよ。お前だ」
絞り出した答えは、果たして届いたか。
「俺か」
「……あぁ」
「……なら」
ゾロは、サンジを真っ直ぐ見た。躊躇う事なく。そしてサンジの手首を取ると、自身の胸元に導き服の生地をサンジの手首ごとグイ、と掴んだ。
「手に入れろよ」
ゾロの瞳がその刹那、金色にギラリと揺らめいた。金と蒼の瞳が音もなくぶつかり合った。逸らすことを許さないその金の眼に、蒼は初めて対峙した。
サンジは直感した。この眼の持ち主は攻め落とさない、ただ待っている。何を。
俺の本能を、だ。
言葉を発するのに時間がかかった。
「手に入れても、いいか」
掠れた声が出た。精一杯だ。これが。
ゾロの服を握った手が震える。
ゾロが、口元を僅かに緩ませ小さく頷いた。
虚勢、という名の堤防が決壊した。
サンジは、ゾロの服を引き裂かんばかりに引っ張った。見慣れた緑の頭を、掌に荒く抱き込んだ。唇を、押し付ける。ゾロの体温が唇から伝わる。俺を罵る数々の言葉、俺を呼ぶ言葉、俺を質す言葉…この唇から溢れる言葉が全て本流となり、俺を押し流し、ただ一つの島に打ち上げた。
そこに、お前が待っていたんだ。
サンジの性急な舌をゾロは迎えた。押し戻し、掬い上げ、言葉の代わりに絡めとる。理性を。
次第に汗ばむ背中が、大きな手に捕えられる。口付けたまま、二人は折り重なった。
「…は……」
ゾロが唇を離した。瞳が爆ぜんばかりに、金色に揺れている。
───獣。
サンジは一瞬そう思った。と同時に首筋に柔らかに噛み付かれる感触。
コイツは、獣だ。獲物を捕らえた高揚のままに、俺は飲み込まれるのか。
ただ、──なんて美しい獣。
サンジは、足元から総毛立つように、欲情した。
ほの暗い中に、サンジの白い肌が浮かぶ。つ…、と掌で辿ると、ピク、と震える所に触れた。小さな粒を指の腹で押さえると、手の甲で覆った唇から、甘い息が僅かに漏れる。悦いのか。
口内にそれを捉え、柔らかく吸うと、更に熱い息が漏れた。
こんな風に、堪えやがるのか、コイツは。
ゾロは、痺れるものがこみ上げて来るのを、必死で抑え続けていた。硬く昂るもの同士が触れ合い、下腹部に甘美な熱が充満して来る。堪らず、片手で同時に握り込む。
「ぅあ……っ…」
快感が急激に呼び込まれ、数度扱くと、呆気なくサンジは白濁を散らした。
「……てめ、…強引にすん、なよ…」
「てめェが…早ェんだ、ろ」
「っ……クソ」
暗がりの中でも、紅潮したサンジの頬が浮かぶ。ゾロは、その頬に掌を添えて唇を吸った。蕩けた舌を何度も舐ると、サンジは腕をゾロの首に回し掻き抱いた。密着した汗ばむ胸が、呼吸で上下するのが直接感じられる。下腹部に触れるものが、再び熱を持ち始めると、ゾロはその刹那、抗えない激しいものに襲われた。
欲しい。
コイツを、中から悦ばせたい。
もっと、もっと俺を求めろ。
徐ろに、サンジが唇を離した。
「……な…ァ」
「なん…だ」
「……入れていいぜ」
「っ!……な…………」
「イきてェだろ?…中でさ」
「っ……おま…」
この男は。
欲望に飲み込まれてゆく俺に気付いていて、それで……
自分の矜持を後回しに出来るのか。
「あぁ、てめェが…欲しい……何で、分かる」
「ハッ、分かるさ、男だろうが」
「…!……」
てめェの、そういう所が、たまらねェんだ。
激しい本流が、一瞬にして小さな躊躇いを押し流してゆく。
「……いいんだな、本当に」
コックの薄い唇の端が、に、と上がった。
「……今、二本だ…」
「……っ…く…」
「ゆっくり、息吐け」
キツく目を閉じているサンジの額の髪をかき上げながら、後孔を押し広げてゆく。
「…三本目、行くぞ」
「っ……も、もういい、…入れ、ろよ」
「まだキツいだろ」
「いい、から……」
サンジの腕がゾロの首に回り、体温と共にサンジの細かく吐く息がゾロにまとわりつく。
「っ……知らねェぞ、もう」
サンジの昂りを握り込み、揉み上げながら自身を中心にあてがう。
強い自制で押し込めるのを耐えながら、ゆるゆると入口を擦ると、食いしばる歯の間から甘い息が漏れた。
「ん…、早く、しろ……!」
ゾクリ。と、腰が粟立った。吐息に掠れた囁くほどの声が、堪らない──
「…入れんぞ」
「……っ、…く……」
自制を外しゾロは強く腰を進めた。キツい。まだ先端だ。なのにもう、甘い痺れに絡め取られそうだ。僅かな理性に警報が鳴る。
ヤベェ。
サンジはキツく目を閉じたまま。
「もっと、入れんぞ…」
警報が鳴り続けていた。
ぐ、と強く押し込む。
「ぅ、……」
更に、押し込む。
「……っ、ぐ……」
苦悶の横顔に金糸が散らばる。
「おい……こっち、向け」
サンジの顎をこちらに向け、縋るように開いた唇を塞ぐ。漏れる息が熱い。
解すように舌を絡め、暫く抱きしめると、サンジは応えるようにゾロの頭を掻き抱いた。ふと、締め付けていた後孔が緩く蠢いた。
「………ゾロ…来いよ」
「…っ……」
耳を掠めたサンジの低い声に、警報がゾロの頭を割らんばかりに鳴り響いた。
サンジの片足の腿を持ち上げる。と、一気に深く芯を突き上げた。数度突き上げ角度を変え、さらに深く穿つと、苦しげに口を押さえていたサンジが遂に啼いた。
「…ぅあ…ッ!!…あ……ッ」
奥に当たる感触が、ゾロにも伝わる。
「あ、あ……ッ…!…そ、こ……」
「ッ……、ここ、か、よ」
自制を失い、乱れるサンジが、ゾロの腕の中にあった。
何度想像したかなど分からない。コイツが啼いたらどんな声か。どんな表情で、どんな風に請うのか。
目の前で情欲に乱れる男は、思い描いていたものを遥かに超え、ゾロをまともに翻弄した。
ヤベェ。ヤベェ……!
抑えられぬ声が揺れるリズムと共に吐き出されてゆく。掠れた声、散る金の髪、苦悶に歪む眉間…
「は……クッ…ソ…ッ」
理性が粉々になる。こんな事は初めてだ。どんな修羅場の戦闘も、命のやり取りも、血反吐を吐くほどの修行も、ゾロをこんな風に変えたことはない。コントロールが効かない。ただ、欲望と快感の渦に飲み込まれてゆく。
目の前の、この男一人のせいで。
ゾロは何度も何度も、サンジの甘く啼く所を突き上げた。その度に半ば掠れた声が、波打つ濡れた肢体が、更にゾロを激しく掻き立てる。強く強く揺さぶる。
おかしくなる。もうとっくに……
俺は虜だ。
腹の下で、サンジの愉悦が散らされた、その刹那、
搾り上げるような快感がゾロを襲った。
「……く………………………!!」
視界が白く飛んだ。
「おい……重ェ…抜けよ」
「………」
「……おいっ、て」
「…まだいいだろ」
サンジの肩に顔を埋めたまま、ゾロは起き上がろうとしない。
「ふっ……駄々っ子かよてめェ」
自分に今覆いかぶさって静かに息を整えるこの男が、あの魔獣と畏れられる剣士とは、にわかに信じられない。
あんな風に触れるなんて。あんな風に、俺を──抱くなんて。
拒絶されるに決まっていると、思っていた。心底毛嫌いされる、と。
口にすれば崩壊する。
俺は、この船で夢を追いたい。コイツとの関係の崩壊、それはイコール自分の夢も破壊する自傷行為だ、ずっとそう思って、だから耐える、耐え抜いてやる。そう思って。
それなのにコイツは──
コイツは自分の言葉の斬れ味を、何も分かっちゃいない。ジリジリと追い詰めて、一瞬で致命傷を追わせる。真似できやしねえ。俺は見事に急所をやられた。
てめェが手を掴んだ、あの時にな。
そっと、サンジはその柔らかに乱れた緑の髪を掻き混ぜた。汗で少し湿った、意外と細い髪が指を優しく滑る。
そして、男の濃い匂い。ゾロの匂い。
あ。
ビク、と、サンジの僅かな反応が伝わったか、入ったままのゾロ自身が応えるように蠢いた。
「ぅ、……てめ、また…」
「……」
少し身体をずらし、ゾロはサンジの痩躯を抱き直した。
「……まだ、足りねェ」
「おい、どけってさっき」
「本気で言ってんのか?」
言われるまでもなく、サンジの中心は先ほどより更に熱く、欲望を溜め始めている。
ゾロは腹の間に手を伸ばし、再び育ち始めたその欲望を掌で甘く覆った。
「っ……ゾ、」
「時間なら、たっぷりあんだろ…」
ゾロの吐息が耳朶に触れる。
その時。
ゴゴゴ………という低い地鳴りのような音がサンジの耳に届いた。
かなり遠い。しかし、確実に近づく音だ。
あれは、もしや。
「おい、ゾロ!マジでどけ!やべェ」
「本気じゃねェなら言うな、うるせェ」
「本気だっつうんだよ!!聞こえねェのか、あの音!!」
「あァ?!」
その轟音は、間違いなく一つの事を示していた。
「……!!」
「聞こえんだろ?もう来た!!」
「「──海水だーーーー-------ー!!!!」」
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「……それで、こんなに遅くなった挙句、二人とも全身びっしょびしょなわけ」
サニー号の甲板で、航海士に説教されているのは、もちろんこの船の剣士とコックである。
「荷物が濡れてないのは幸いだけどねェ、あんた達、満潮はいつ来るか分からないから準備して、ってあたしあれほど言ってたわよねェ?満潮になってからサニー号を探しても、どこに浮かんでるか分かんないでしょうが!」
「全く面目ないナミすわん……」
「……結果、無事乗れたんだからいいじゃねェか」
「口答えすんのアンタ---!!結果乗れたのは、全くの偶然じゃないのよ!あんなあさっての方角から泳ぎ着いて来るなんて…あんた達を探しに行くのに、また停泊地を探さないといけない所だったわよ!もう!」
「全くもって面目ない」
「チッ……」
「まあまあナミ。でも間に合ったし、二人とも怪我がなくて良かったな!穴に落ちて酷い怪我してたら、もっと大変なことになってただろ!」
チョッパーがナミを諌めつつ言って、サンジの足を確認した。
「捻挫みたいだけど軽傷で良かった。それにしても、二人で長い事狭いとこにいて、よく喧嘩しなかったな!それで怪我したかも知れねェのに」
「!………ああ、いや、まあそんな所でまで喧嘩しねェよ、大人しく待ってたんだぜ、満潮を。な?」
サンジのキツい肘鉄をくらい、ゾロは顔を顰めながら言った。
「大人しく…はねェけどな。ケンカより気持ち良」その直後、華麗な黒足の蹴りを受け、甲板の壁に激突し大穴を開けたゾロは、今度は船の修繕を終えたばかりの船大工に大目玉を食らうハメになった。
Fin.